しあわせ
天台宗の最澄は、どんな人が国の宝かと問われたときだろうか。
「一隅を照らす」という人を挙げたらしい。
最澄は人材育成に優れていて、様々な人材を育てたらしいが、
大ぶろしきを広げて人々を救うような人でなく、
自分の持ち場でひとつひとつ仕事をこなすような人を国の宝と言った。
私の母は、何のために生きてきたのかと嘆くことがあるが、父を慰め、僕ら子を強く育て、ご近所さんに礼を尽くして、一隅を照らすだと思う。
国の宝。
喜ばしい。
僕も在宅でWEBライターを細々とやらさせてもらっているが、
原稿チェックの新卒のスタッフを励ましたり、たまに人生語っちゃったりしている。
そのスタッフは礼儀正しいけど意見はしっかり言うから、こちらが直すことも多いが、僕の記事を楽しんでくれている。
それがうれしいから、40近くで思うことを率直に言ってしまう。
これが広がり、一隅を照らすとなりたいものである。
誰かが言った「大志を抱け」より安心する。
この逸話を紹介してくれたのは浄土真宗の鬼滅の刃の本を出した人だが、ほんとボーダレスにいいものはいいと言ってくれてありがたい。
鬼は悲しい存在として描かれているが、その物語が読者の根底に響く。
共感などで、人間の悲しさを映し出し、リアリティのある作品であると。
YouTubeチャンネルで言っていた。
面白いお坊さんだと前から思っていて、このお坊さんも「一隅を照らす」だなぁと思うが、
ぼくはキリスト教です(笑)洗礼を受ける覚悟がないというのも、勇気のないこととも感じますが、一方で生涯求道者で、病床で洗礼を受けるというのも憧れるなど・・・呆れられそうですが、
いろいろ、文献的な独自の見解があり、教会の聖職者とうまくやれるか心配なのです。
黙示録はローマ滅亡までのことしか言っていないという意見を信じてしまっています。数人のプロテスタントの聖職者に666をどう思うかと聞いたら、「不思議な数字に過ぎない」との答え。
何かあるたびに聖職者が世の終わりを示唆する、というのは、人間の複雑さを考えたら面白い統治なのかもしれないですが、
僕の見た文献では666はローマの特殊部隊の隠語だった可能性があるらしく、クーデターでローマが滅亡するのをうまく隠した書簡が黙示録である、と信じると、
牧師が「このデジタル時代、666という数字は何を示すか・・・気を付けなければいけない」などというと、正直怖いだけだ。
ぼくは東日本大震災の時、あれだけ甚大な災害でも、自宅回りが平和で驚いた。
皿が数枚割れたくらいだ。
父の職場は壁が割れたそうだが。
親たちは「まさに日本沈没」と言っていたが、
ぼくは教会に属すなら、Dグレイマン見たいと思いながら潜入するか。
睡眠薬が効いてきて、頭が幸せになって来ています(;^_^A
今晩の夕食はカレー。
チューリップにしたチキンと溶け込んだ野菜たちが魅力のルーに、
夏野菜・・・ナスやズッキーニをざっと焼いて乗っけます。
そろそろ調理開始なので、
国の宝(笑)の母の料理を手伝ってこようと思います。
また、7月号の小田牧師CDでは、励ましなどを親しい人に伝えましょうというテーマだった。
人間関係の基礎と言われる親子で笑顔と会話、食事をしようと思います。
オリンピックはみるかわかりません。たまにショップチャンネルみてます(笑)
ABBA!!ハレルヤ!!
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