地獄行きだなおまえもおれも エンドロールにきみがいる
「私、本1冊で1回ヤります」
「キスだけお金で売ってます」
「でも処女だから、挿れられません」
私は夏と引き換えに“売女”をはじめた。
「辻斬りのように男遊びをしたいな、と思った。ある朝とつぜんに。そして五月雨に打たれるように濡れそぼってこころのかたちを変えてしまいたいな。」
桜庭一樹『少女七竃と七人の可愛そうな大人』(2009)より
昨年の夏、魔がさして出会い系アプリ Tinder をインストールしたらあれよあれよという間に途方もない量のメッセージが来て辞めるに辞められなくなった。
それから約4ヶ月(秋以降は忙しくしていたので厳密には2.5ヶ月くらい)でおよそ40人だか50人だかくらいに会った。凄い勢いで会った。
3日で6人と遊び散らかしたこともあった。昼夜フェスみたいだった。
また、私のもうひとつのTinderの遊び方に「Tinderの人に本を貰って集める」というキモい遊び方がある。
ある日突然、「これをただお金にするのは面白くないから、1回につき1冊本を集めよう」と思い立った。
その代わり私は「キスは有料です」と言うことにした。
好きでもない人間とする行為の生理的嫌悪感はセックスよりもキスの方が上回る感じがしたし、キスなんて好きな相手じゃないと意味がないと感じたからだ。
本を選ぶのは大抵私で、可能であればなんとなく「その人っぽい」1冊を選んでそれを買ってもらう。
例えば顔がかっこよくて学歴も社会的地位も確立されているいけ好かない立派な男は男性学の1冊、無類の女好きであれば上野千鶴子の『女ぎらい』など、適当且つ場合によっては天の邪鬼な選び方をする。
基本的には社会学に関連する書籍が多い。私はコミックは読まないしエンタメ小説は基本苦手だし、最近は本を読まない人も多いためそういう人はオススメの本の1冊や2冊もない人が珍しくないからだ。
時々「江戸川乱歩のオススメの1冊教えるよ」とか「文化人類学の入門にはこれが良いよ」とか「作品の世界観の参考にしてほしくて」とか言ってくれるものがあればそれを選ぶ。
こうやって本1冊をコミュニケーションの覚書として、数多の男を私の生活に書き留めておく。
幸い、修士の学生には本がいくらあっても足りない。
本以外にも時々お布施のように手に入るものはあった。
電気代の3ヶ月分の滞納を払ってもらったこともあったし、WordPressの年額2万円のホームページをタダで使ってくれない?という話もあったし、立派なNikonのフィルムカメラをいただいたこともあった。
本を対価として性のエネルギーを知性に変換していく活動はざっくり言うと“クソエモく”て、これは私のライフワークになった。
私のTinderでおもしろ人間大会をするな
出会う男たちはおしなべて、私と人生を交差させることのなかったはずの「おもしろ人材」だ。
今となっては「Tinderで会った男40人描いてLINEスタンプにしたる」という力強い目標もあるが、「人生の文脈を共有しない他人」が突然自分の生活に飛び込んでくる現象も、はじめこそ結構なストレスではあったものの、10人目前後あたりで慣れてしまえば楽しくて仕方がなかった。
というか確かに疲れるのだけど、次第にとにかく「“当たり”を引く““博打””が辞められねンだわ」という立派で高潔な感覚が健やかに育まれていった。
タバコも競馬もマリファナもロックンロールにも興味がなく、ピアスの穴さえ開けていない私だが、この時の私はこのルッキズムと言う名の博打に飲み込まれてしまった。
しかしそれ以上に、私はTinderを「おもしろ人間大会」だと思っている。
私は特に彼らの日常的な感覚から紡ぎ出される“自分語り”が好きだ。
誰であれ、意外と「なにその話興味深いじゃん聞かせてよ」みたいなことが少なくない。ほとんどフィールドワークだ。
大学院での研究テーマに始まり、NHKの営業が追い返される時の話、実家がデリヘル事務所だった話、異母兄弟もいて親戚が大量過ぎて把握しきれない話、新興宗教の実家の話、等々。
「なに?お前ら私のTinderでおもしろ人間大会しにきてるの?」の数々。
彼らは私の人生の登場人物じゃなかったはずの乱数。
男どもの数だけ顔も身体も倅も人生もセックスもある。
そんなありふれた「出会い系」に興じると同時に、彼らが一人の人間としてそれぞれ持つストーリーに強く惹かれていくこともむしろ少なくなかった。
Tinderなんてそんな場所じゃないはずなのに、おもしろ人間大会なんかじゃないはずなのに、私にとってはそれもまた面白くて仕方がなかった。
縁結びの神様はご乱心
これまで会った男たちは工業高校卒から京大院卒までいた。
本来私の生活の文脈上で良くも悪くも出会うはずのなかった来歴やコミュニティを持つような人々。
話す“言葉”が違う、語るトピックが違う、“どこを見ているのか”がそれぞれ全く違う人々。
Tinderはそういった男たちと出会うことが叶うツールである。
大学生、専門学校生、大学院生、高校教員、大学教員、大手企業社員、新聞社員、NHK職員、銀行員、不動産屋、喫茶店オーナー、プラント設計士、クラフト作家、編集者、芸大生、元ホスト、官僚、新興宗教の教会の後継、ハーフもクオーターも巨根も短小も童貞もいた。
ごく稀に後輩のお兄ちゃんとか幼馴染の元セフレとかもいた。もはやグロくすらあるけれど、そんなめちゃくちゃこそが醍醐味だ。
ところで、私には恋人もいる。しかも2人いる。
公認で複数人と付き合うポリアモリーというやつをここ数年やっているのだ。
私がTinder遊び散らかしていることは彼らもまた知っていて、それどころか私は都度「今日はこんなおもろい奴に会ってさ〜〜!」と恋人にもおもしろエピソードを共有しレポートするのがTinder遊びの日課のひとつでもあり、改めてこう書き出すとまあまあどうかしている。
最近はそれどころかTinderで会った男と恋人の1人も意気投合してめちゃくちゃに仲良くなり、ZOOM飲みやお出かけを3人で一緒にして盛り上がる仲だ。本当にどうかしていてめちゃくちゃ最高だと思う。
私の縁結びの神様はご乱心。
私は絶対地獄行き。
とはいえこれが私のライフスタイルなのだし、こんな感じなら地獄だって住めば都に違いない。
売女以上、TENGA未満
ところで、私の身体には「呪い」がある。
私は処女膜強靭症だ。
私は挿入されたことがない。
というのも、できない身体だからだ。
私の身体は、未だにれっきとした処女なのだ。
気付いたのは大学生の頃だった。
当時処女だった友達と猥談をしていたら、彼女は「えっ私、指3本入るよ?」と言っていた。私はと言えば、頑張っても小指も入らなかった。
私は膣口の伸びが人よりも固く、濡れていたとしても痛いだけで、挿入できるほどに形状が伸びない。
無理に入れようとすれば、例えるなら「喉に指を突っ込まれてる」ような不快感を覚えた。
婦人科に行って相談したけれど、「妊娠を考えてない段階ならそんなに気にしなくていい」と言われた。
ネットで手術費用を調べると10万円は必要だと書いてあった。
到底手は出なかったし、手術なんてとてもじゃないが怖くて仕方がなかった。
恋人には何度も後ろめたさを感じた。
みんなができることができなくてごめんねと言って謝った。
お互いオーガズムに達することはできるけれど、「挿入できないこと」があまりにも私の中で罪だった。
もう1人のパートナーができてからも、何度も同じことを謝った。
悔しくてたまらなかった。
Tinderで会った男が一度「俺、挿入した子しか経験人数にカウントしてないんよな」と何気なく言った言葉が今でも忘れられない。仕方がないのは重々分かっているのに、絶えず反芻してしまう。私には人権がないような気さえしてきてしまう。誰も悪くない。きっと彼は微塵も覚えてなんかいない。けれど、私は忘れることができない。
何万円もかけて治さなければ「普通のセックス」ができない身体であることに私はこれまで何度も何度も泣いた。
欠損の輪郭をなぞって
孤独な夜に突然思い立つアイデアなんて大抵どこか危険なものだ。
きっとこれもそんなよくある思いつきだ。
いつか誰かに無理矢理でも処女を貰ってもらえるかもしれない場所に自分を投げ込もう。
そのためにはある程度経験の豊富な相手である必要がある。
もう何もかもをめちゃくちゃにしよう。
何もかもどうでもよくなっちゃう夜はありふれている。
その日もそんな夜だった。
この頃は片方の恋人と上手くいかず、いよいよセックスレスになり、ほとんど所謂カサンドラのような状態になった頃だった。
あと19歳の知人が6月に自殺で亡くなったことをひたすらずっと考えていた。
また進路や修論についても不安だらけで、ストレス反応を起こして半年以上講義に通えなくなり、研究科に何の連絡もできず、目に見えて精神を病んでいた。
次第にご飯も食べられなくなり、いよいよ眠ることもできなくなった。
恋人にも友達にも親にも誰にも何も相談できずにいた。
正直言って、もうほとんど死のうと思っていた。
強い希死念慮が常にあり一人で居るときはずっと泣いている
食事を摂りたくない(胃に物がある感覚が嫌で少し食べただけでも吐き戻したいが吐くのが上手くないため嘔吐できない)
もう誰にもなにも相談できる寄る辺がない
心配をかけたくない
できることなら誰にも知られずに消えたい
恋人が(本人の言葉で聞くには)「他人の気持ちへの想像力がない」ようで、思うようなコミュニケーションがきちんとできなくて度々強い疲れを感じる
(中略)
死にたいという強い強い希死念慮が止まらなくて苦しい、早く解放されたい
アルコールで誤魔化すこともままならない
家族が心療内科に偏見がありずっとこの手のクリニックを受診することができなかった
本当は投薬治療はしたくないが大学の保健センターのカウンセリングで薬をもらうことはあった
これは当時スマホに残していたメモである。
この頃はいつでも死のうと思ってロフトベッドのパイプにネクタイを輪っかにして固く結んでいた。
自殺企図のエスノグラフィーを修論として残せないか本気で考えていた。
Tinderおしゃべりはカウンセリング、Tinderセックスは自傷行為
思いついたら行動は早い方で、ふわっと魔がさして、気がついたらなんとなくインストールをしていた。
出会い系アプリなんか触ったことがなかったし、怖いと思っていたし、恋人が2人もいたら必要ないと思っていたし実際全然必要じゃなかった。
でもこの時の私は凄まじい孤独感で、明日を生きているかもわからなくて、そんな毎日を首の皮一枚で繋ぐためだけに週5くらいの激しい頻度で男たちとの約束を取り付けていた。
遅刻はするけどなんだかんだ約束は守る方なので、私は私のそういう気質を利用した。
毎日毎日新しい顔と「はじめまして」と言って自己紹介して話が合うのか合わないのかの擦り合わせを考えながらやるコミュニケーションは、そういう部分においては正直毎日かなりのストレスだった。
けれど「はじめまして」の人は、まっさらな、今喋っている私のことしか知らないのだ。
私の後ろにある煩悶なんて表象しない限り悟り得ないし、ましてや何かが滲み出たとして興味なんて持たれないし、せいぜいこいつとセックスできるかできないかの価値くらいしかお互いに見出されない状態がかえってある意味でストレスフリーかつシンプルだった。
語ることは自分の中で整理をすることでもある、カウンセリングの基本的な効能の一つである。
私がTinderをやり始めた頃専ら毎日のようにやっていたのは男たちへの「はじめまして」から始まるこういった身のまわりの物事を整理して並べる作業だった。
ある時「おっぱい大きいですね!抱かせてください!」とかなり直球にメッセージを送ってきた子がいた。
話しているだけで大変頭の回転がいいことがよく分かる子で、語りが卓越して面白く、同じ大学の学部生なのだけど滑り止め入学とのことで大変賢いようで、それでいて海外をぶらつくのが好きで留年を重ねているアウトローというかなり興味深い男だった。
特に彼女に無断でイスラエルに行ったら鬼ほど怒られて帰って会う計画を立てていたけど関空が水没して飛行機が飛ばなくなってそのまま振られた話が一番面白かった。
顔も美しいし面白いし背も高いしそれこそジャンボジェットみたいな御子息をお持ちで一見魅力で言うと何の欠点もない男だった。
私は初めて知らない男の前で脱いだ。
率直に言って、そこには物凄く傷ついた私がいた。
夜1人で泣いた。
何かよく分からなくなった。
無理矢理乱暴されたわけじゃなかった。
別にこれで良かった。
けれど何かが破壊された気がした。
何かが破壊されなければならない気がしていたから、望んでいたことなのにショックを受けている自分もいて混乱した。
いやこれで良かったんだ、そんなものだ。
それでいて泣きながら明日会う男との予定もスケジューリングした。
私が一緒にいたいのは恋人なのに、何をやっているのか分からなかった。
ほとんど自傷行為だった。
次の日も同じ大学院の人間だった。
彼のバイクの後ろに乗ってタンデムしながら話していると彼はお気に入りの後輩の兄だったことが分かった。
確かに顔が少し似ていた。
素性が知れた人間と分かると、この日はいつもより少し気を許したように思う。
前の日のこともあったせいか少し喋り過ぎていた。
顔は端正で背は高い。少し離婚した父の面影に似ているかと思えば私と名字が同じで不思議な気持ちだった。
直感的にこの人は私にないものを持っている男だと思った。けれど底抜けに明るいわけじゃないなと思った。私と喋れることがその証拠だ。
少し大学の研究室に忍び込んでお喋りして、学食でご飯を食べて、バイクで駅まで送ってもらった。このアイスブレイクが上手い男は会ってたった2時間で、タンデムする私の手を握るようになっていた。
去り際、バイクを降りて30分ほどそのまま並んで喋った。
彼は私の頭や手を触った。ハグをした。
そっか、そうだよな。と思った。
真夏だった。
道端の木陰でもじっとり汗ばんでいた。
男と喋りながら焼けるアスファルトの背景に蝉が鳴いていたのを見ていた。
棒立ちの私に何度もキスをした。
「口紅とれちゃったね」と言って目を逸らす様が色っぽかった。
さっき学食できつねうどん食べた時にもう取れてましたけど、と言いそうになってさすがに無粋なので言わなかった。
よく分からないけどよく分からないなりに何か言わなきゃと思って不意に「お疲れ様です」と口から出た。完全によく分からなくなっていた。
私は拒むこともなければ能動的でもなく、唇を重ねる間目を閉じることもせず、ただこの男を受容した。
多分前日のことを思い出していた。
ほとんど無になっていた。
こんなに美しい男がわたしと唇を重ねているのに、何も感じないのが不思議だった。
普通もうちょっとテンション上がる気がするのに。
気持ちの上では結構悪くないはずなのに。
この時の私は何のリアクションも出てこなかった。
されるがままになりながら「あれ、私死んでるのかな」と思った。
緊張しながらとかドキドキしながら体験した経験は記憶に残りにくいというが、一連の景色と感覚があまりにも鮮明に記憶に残っていて、本当に死んでたのかもなと思う。
彼を一度も振り返らずに駅の改札を通ってから、「あれ、もしかしてさっきのって、私がこれまでキスした人の中で一番綺麗な顔だったかもな」と思って阪急の駅の中で少し振り返ったことも、この日のワンピースや靴下や身に付けていた下着の色まで、不思議とはっきり覚えている。
傷と享楽
そこからしばらく、私は何かのタガが外れたように男と容易く寝るようになった。
冒頭で書いたように3日で6人昼夜相手にするなど凄まじい遊び方をした。週5で会って週休2日とか、ほとんどそういう「勤務」みたいだった。本当に擦り切れるべく擦り切れた。
そこではじめての時のような後悔をしないための作用を果たすのが本という対価を設定することだった。
そうなると、キモくすらあれ、どんな相手であれTinderでマッチした男である以上、余程酷い人(健全にコミュニケーションがとれないレベルの人)は体感として全体の5%以下で、対価があればある程度の恐れはなくなった。
彼らという存在を精一杯「素材」として集めることにした。
私の人生の登場人物ではなかったはずの彼らの自分語りも、存在したことを私の生活に書き留めるための本という遺物も。
コンセプチュアルにこれらを集めることに注力した。
ほんの思いつきだったが、私はこの思いつきをフィールドで生かす必要があると感じた。
煩悶をなかったことにはしたくないたちなのだ。
「私、本1冊で1回ヤります」
「キスだけお金で売ってます」
「でも処女だから、挿れられません」
個人的には風俗経験はゼロだが、風俗のように挿入以外の手練手管を活かすだけでも結構な数の本が結果的に手に入った。キスがどうしてもしたい人は少ないものの一定数はいた。
“美しい男”にも敏感になったが、“キモいおっさん”にも以前より一層敏感になった。
何がつらかったとかは次第にわからなくなっていた。
ただただ黙々と自分の傷みたいなものを、男たちを触媒とし、外部化して「アウトプット」する作業をしていた。
事実として男たちは面白いし、快楽には十分夢中になれるし、本は買ってもらえるし、私は身体を駆使することで「生」を取り戻しつつあった。
本当と嘘のバイナリーの自己破壊によってオーガズムが発生するように、自己を揺るがす二元性の往来の中で、私は今生きていると感じていた。
語るほどの夜ではないが
全ては匿名の虚無だけど、でも私はその虚無を愛していた。
一度、普段私がやっているアート制作活動の一環として、男たちの顔写真を集めてモーフィングという技術で「平均顔」を生成したことがある。
2019年内にTinderで出会った男たちの顔写真を素材にモーフィングで作られた平均顔。
“重なり合った”男たちから生成された平均顔の男は不在の存在である。
鏡を印刷媒体として彼をUVプリントし、正面から見つめることによって、この不在の男を忠実に追体験することができる。
彼らを見つめているようでいて、同時に私は彼らの中に映る私自身を見ていた。
匿名で名前も知らず重なり合った彼ら一人一人の存在を、私は「知っている」とは言えない。
彼らが存在した証拠を、身体だけが覚えている。
語るほどではない夜の数々がぼたんを掛け違うみたいに出会った人間同士の身体の記憶の中にだけ存在する。
学部生の頃、酔ってべろべろになって最寄駅のベンチに座っていたら送り狼に遭ったことがある。
駅の改札まで送るよ、と言われていたのがいつのまにか家の前まで来ていた。
腰に手を回されたあたりで何かそんな予感はしていた。
でもまたこの時もたまたま色々あって、「どうでもよくなっちゃった夜」だった。
なりゆきに任せて、全ての後で「こういう時は連絡先は交換しないもんだよね」とお互いにそう言って、バイバイした。
「ほら偽名じゃないよ」と言って彼が見せたゆうちょのキャッシュカードに書かれていたカタカナの本名だけを覚えている。
全部全部そんな感じで、無かったことみたいに掛け違えたぼたんを正しては、また掛け違えてみたりする。
性とか死とかそういうでかくてくだらないものでしか勝てない
「私の身体をポルノにしてください」
映画「アンチポルノ」(2017)より
基本的にはエロいかどうかとかで物事を判断していきたい。
それくらいの感覚で生きてさくさくとスナック感覚で享楽していたい。
私たちは多分毎日ちょっとずつ誰かに向かって「大丈夫です」みたいな態度を表明しながら少し怯えて生きていて、「大丈夫です」って言えなくなった時は多分性とか死とかそういうくそでかくてありふれててくだらないものでしか勝てない。
凡庸で健全だからこそなんも知らんくせになんか知ってると思ってないと死んじゃいそうでアイデンティティとかレゾンデートルとか言っちゃって時々我に返って傷ものになった自分みたいなものを見つめてみては享楽する。
傷つきは享楽であり快楽に転化する。
横溢した感情のタガを上手く外せ。
「私をポルノにしてください」なんて言って、犬に食わせた命は放り出して明日にも売女のナメた自由を手に入れてしまえばいい。
きっとシナリオに自分で「カット」をかけて時々役から解放されては、たとえ悲劇でも合間にゲラゲラ笑ってやる。
Tinderをやり尽くしていた日々はさしずめ毎日がマチネとソワレで明日のゲネプロ。
ほんの少し原作を飛び出した登場人物は本来の筋書きでは出会うはずのない君とキスをするだろう。
書を捨てて町に出たから君は自分を観客だと思ってるけど、映画だったらちゃんとクレジットには名前が載ってるし、
舞台のカーテンコールではきっと、私と並んでおじぎをしている君がいる。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?