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橋のはなし

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人類の三大発明といえば、「道」「階段」「橋」である。中でも、橋は、河を渡るための手段として始まり、創造的思考に基づいて様々な発展を遂げて現在に至っている。その架橋の歴史と美しい姿…
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2024年5月の記事一覧

20.学びに基づく進化を観るー越中の愛本橋ー

何故、越中の愛本橋が架けられたのか?  北アルプスを源とする黒部川は水量が多く、立山連峰に挟まれた峡谷を急勾配で流れ下り、峡谷を抜けると日本海に向けて最大半径13.5km、扇頂角約60℃の大きな扇状地を形成している。  扇状地では、雪解け水に豪雨が重なると「あばれ川」と化し、川筋も一筋に定まらず、幾筋にも分かれて流れたことから「黒部四十八ヶ瀬」とも呼ばれ、北陸道の難所の一つであった。  越中とは現在の富山県のことで、「愛本橋」は黒部川が峡谷を抜ける最終地点に架けられた

19.イノベーションを起こしたー甲斐の猿橋ー

桁橋から片持梁橋へのイノベーション  文明が発展したメソポタミアや中国沿岸地域とは異なり、国内では森林資源が豊富なため、石橋とは異なる木造橋が独自の発展を遂げた。  特に、深い谷のように橋脚を立てるのが困難な場合には、桁橋に替わる新たなアイデアが必要である。古の時代には、創造的思考によるイノベーションが必須であった。  国内では、豊富な木材を利用した片持梁橋のアイデアが実用化されて大きく発展した。  一方で、深い谷を渡る吊橋に関しては蔓に代わり高強度の鋼鉄線が開発され

18.屋根だけでなく壁も付けたー廊下橋

 日本で多用された木造橋の大きな課題は、その耐久性の向上であった。そのため、雨水の侵入を防ぐ「屋根付き橋」が架けられた。この屋根付き橋の発想は、部屋と部屋とをつなぐ「渡り廊下」につながる。  一方、目的は異なるが、屋根だけでなく塀や壁まで設けた廊下橋の存在も古くから知られている。  寄藻川に架かる宇佐神宮の呉橋  大分県宇佐市の「宇佐神宮」は、全国に4万社あまりある八幡社の総本宮で、応神天皇が725年(神亀2年)に現在の地に御殿を建立し、八幡神をお祀りしたのが創建とされ

17.雨水を防ぐ屋根付き橋ー愛媛の田丸橋ー

木造橋の耐久性対策について  過って、日本で多用された木造橋の大きな課題は、その耐久性の向上であった。現存する国内の木造橋の維持・管理に関して、土木学会木材工学特別委員会による調査結果(2011年11月)が報告されている。  報告書には、木造橋の耐久性能に関する1~7の項目が記されており、優れた耐久性を実現する筆頭に「屋根付き橋」があげられている。 屋根付き橋と上路橋の健全性は、他の構造形式と比較すると極めて高い 樹種の耐久性のみに依存した設計では劣化が顕著 同じ樹

16.人は何からでも学べるー京都木津川の流れ橋ー

学びの本質は観察にある  知識を得ることは大切なことである。知識を得るために、人は何からでも学ぶことが出来る。先人から学ぶことは当たり前であるが、堺屋太一の「歴史から学ぶ」、畑村洋太郎の「失敗から学ぶ」、安岡正篤の「論語に学ぶ」など、学びは人からとは限らない。  佐道健の「木を学ぶ 木に学ぶ」を読んで木の素晴らしさを実感することができる。重田康成の「アンモナイト学 絶滅生物の知・形・美/国立科学博物館」など形態学に関するものは興味深く、また奥が深い。  良く考えると「