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#映画アイドル と「アイドル」について本音ベースで考えを巡らせてみた(ネタバレ注意)

僕はSKE48のヲタクだ。……と言い切るとそれだけではないのだけど、少なくともアイドルヲタクを始めてからの主軸はSKE48になる。SKEのことを好きだと思い始めてからもう7年ほど経った。最近SKEと距離の近いTBSの制作でドキュメンタリー映画が公開された。裏側の映像もこのようにして惜しみなく放出するのは、現代のアイドルの必須要素と言ってもいい。観ないわけにはいかない。そんな想いで公開翌日とその2日後に映画館に足を運んだ。

ドキュメンタリー映画 アイドル あなたの目にアイドルはどう映っていますか?
http://kiguu-ske48movie.com/

(ネタバレ禁止が推奨とのことなので、観てない方で知りたくない方は下記は見ずに戻るボタンを押してください)


映画のあらすじ

タイトルは『アイドル』。焦点が当てられるのは2018年、今年のSKE48だ。デビューしてから10周年を迎える今年の秋までのSKE48を追いかけたものになる。話は大まかに3パート。最初のSKE48の紹介パートでは、SKE48がピークアウトした今でもかつて単独開催したナゴヤドームコンサートを目指していきたいという話。中盤では言動が48グループファンだけならずネット界隈でもかなり話題になった、松井珠理奈と選抜総選挙の話。そして、先輩から“イズム”を受け継いでいく後輩たちの話だ。これを、正月のライブから時系列を追うように各イベントの映像と、2期生や3期生の先輩メンバーのインタビューを添えながら進めていく。そして、公開直前に行われた劇場デビュー10周年記念公演がクライマックスとなる。

記録映像として本当にありがたい

この映画で一番価値がある――というか、ヲタクとしてありがたいのは、これだけたくさんの映像を撮りに足を運んで、時にはライブまで企画して撮影して、そして公開してくれたことだ。これまで何年もAKB48グループ、そして今はSKE48との関係を深めている竹中監督にしか撮れなかったであろうカットが本当にたくさんある。特に松井珠理奈の総選挙の舞台裏の思いつめたシーンなどは、他のどのメディアでも公開されていないものがある。夏頃、選抜総選挙への複雑な思いをnoteに書いたが、この映像を見て改めてその思いを強めた。ボジティブなカットとしては、TBSが自ら企画開催していた赤坂サカスでのライブが画も音も高質なのでファンとしては見どころである。(ついでに見切れて映った僕も見てください)

僕が思うアイドル

タイトルの「アイドル」について、ヲタクの僕なりに感じてきた定義というか、こだわりのようなものがある。「これを感じられるからアイドルって面白いよね」的なやつだ。AKB48グループが台頭して、そのフォロワーたちが市場にたくさん登場し始めてからこのブームに乗った僕は、この文化の多様性、受容力が面白いと思っている。ざっくりと言ってしまうと、若い女性が楽曲をステージや映像で披露する場があれば、今はもうだいたい「アイドル」になる(グラビアアイドルなどはここではいったん置いておきます)。

楽曲や映像でクリエイターがコラボレーションしていく。振り付けの部分でダンスのプロが入っていく。ヲタク側までが「推し」を売り出す強い要素として取り込まれていく(AKB48の選抜総選挙なんて、その最たるものだ)。地域性の面でも、アイドルと言えば基本東京のテレビのものだったはずが、町おこし的な要素を絡めて地理的な多様性も含んでいく。アイドルは「なんでもアリ」でいろんなヒト・モノ・コトが乗っかりやすい概念になっていった。

それを象徴として強く感じさせてくれたのが、「TIF」だったり、「ゆび祭り」だったりといった(かつての)アイドルフェスで、それが僕にとってはとても楽しかった。

ただしそれは、「ブームだからアイドル的にやっていければ伸びるだろう」という甘い見通しによる乗り方とも紙一重であって、ブームが終息してメンバーも年齢を重ねた結果、メジャー/インディー問わず解散あるいは縮小しているアイドルグループが多数。あのとき見せてくれた多様性は夢だったのだろうか……というのが現在地になる。

今回の映画で描かれている「アイドル」

ところが、今回の映画「アイドル」ではその多様性の部分については序盤の紹介フェーズ以降はあまり描かれてはいない。SKE48の映画なのだから当たり前だろうという話ではある。はじめからSKE48のドキュメンタリーとして制作されているからだ。ただし、この10年で意味合いがものすごく拡がった「アイドル」を冠とするのであれば、もう少し角度を増やしてSKE48の現在地を見せることで「アイドルの多様性」を表現することはできなかったのだろうかと感じてしまった。

すでにアイドルから絞り込んでいる「SKE48」についても、この映画ではものすごく価値基準を絞り込んだ作品になっている。ロングインタビューによって物語を補強していく役目を担っているのは2期生・3期生やチームリーダーを担っている、ベテランメンバーになる。後輩の失敗談や成長記が特に後半部分では取り上げられているのだが、その視点は常にベテランメンバーからの目線、あるいはその価値観にならうものとして描かれている。それをインタビューに加えて映画としては過多と言っていいくらいのナレーションで補強していくので、それ以外の価値観が差し込む余地はないように感じた。その意味では、制作側の「アイドル」は明確すぎるほどに見えてくる。

「流れたヲタク」からの見え方

僕はインタビューに登場するメンバーにもよく握手会に行くし好きではあるのだが、若手メンバーもそれはそれとして応援したいタイプである。先輩メンバーや先輩メンバー推しのヲタクからすると、「流れたヲタク」になるわけだ。流れるヲタクにもそれぞれ理由はあるが、「リフレッシュ」したいというのが1つある。SKE48はメンバー側もファン側も、そして両者の間も言語/非言語問わず意識し合う、共感性の高いコミュニティーを形成している。だからこそそれが極まったときのライブでの一体感はものすごいし、鳥肌もので感動するし、一方でそれは「息苦しい」とも言えてしまう(実はこの面、正の面に関してでも映画では言及は少ない)。それに疲れて姉妹グループやあるいは別のグループに流れる人もいるし、同様の選択肢として新加入の後輩メンバーに流れるわけだ。後輩メンバーを推すことで、フレッシュな子たちが育つ過程を見守る視点を持つことで、息苦しさを和らげる効果は確実にある。

インタビューでこの映画の語り部となる先輩メンバーは、SKE48の立ち上げ直後の時期を知っていたり、紅白歌合戦に出場していたり、単独でのナゴヤドームコンサートを体験している。体験したからこそ自ら積み上げてきた経験則と価値観がある。それに対して、その体験がない後輩たちはその体験がないので、先輩側からするとできていないことがたくさんある。それは仕方がない。先輩たちが偉大であればあるほど、経験を積めば積むほど、そのギャップは大きいからだ。立ち上げ期のメンバーと安定期に加入したメンバーとのギャップはどの組織でもあるはずである。うちの会社だってある。

そのギャップをどう乗り越えようかという先輩メンバーが描かれる中で、比較的に若いメンバーのうち、6期生の成長と自立が描かれていく。継いできていた“イズム”を彼女たちが体現して、それをライブで感じることができた先輩が卒業を決意することを告白するのがその象徴になる。

一方で、その成長の証として取り上げられている1つに、「ダメダメな若手」に6期生がダメ出しをしているシーンがある。成長を描くための相対化の材料として、さらに若いメンバーが使われているように、「流れたヲタク」側の僕は感じてしまった。

実際にダメなところがあるのだろう。制作サイドも当事者ではなくともある程度把握しているわけで、「今回の取り上げ方をバネにして、成長してほしい」という意図はあるのだと思う。監督もメンバー個々に手紙を送ったというので、ケアがないわけではない。その実際の部分を問い詰めたいわけではないのだ。こちらからはわからないのだから。

僕たちは、裏側の映像が豊富にあるとはいえ、基本的には表しか見えない。すべてを知ることはできない。手がかりを得るためにこの映画を観に来ている。その手がかりの映像で観た若手メンバーは、ただただダメだったのだろうか。

6期より若いメンバー側のインタビューやカットによる視点があって、どう甘かったか、何が足りなかったのかをあぶり出して語ることはできなかったのだろうか。ナレーションでもその角度を増やさずに補強し続ける垂直落下的な角度のみの見せ方が、「アイドル」なのだろうか。「流れたヲタク」にはそう感じる。

テレビでもやっていた手法

この手法は、過去にTBSが制作したAKB48グループのドキュメンタリーでも取られている。制作サイドの伝えたい価値観が前面にあり、相対化させる存在を置いてそれをわかりやすく浮き彫りにしつつ、ナレーション等でとにかく説明していく構成になる。

このやり方はテレビ(特に、地上波)であるならいいのだと思う。前のめりに観る視聴者はごくわずかだからだ。前のめりでない視聴者を引きつけるための説明や導入作業はあってもいい。ただし、これは映画だ。2,000円払って映画館まで足を運ぶのは例外を除いてすでにSKE48に興味がある人たちである。そういった人たちに1つの価値観を前面に押し出し、ある意味では感想の選択肢を狭める演出は、ファンを絞り込む手法なのではないかとも感じる。

「多様性」と映画『アイドル』

映画の中でも描かれているように、単独でのナゴヤドームコンサートを思い切れるかというと難しいくらいにはピークアウトしているグループが今のSKE48だ。ただ、閉塞感自体は数年前からあって、それを打破するために、ピークアウトした今だからこそできるフットワークの軽さを身に着けてきた。地域の小さなイベントやCDショップのイベントを増やしていて、「たまにしか当たらない劇場公演」「距離の遠い大箱コンサート」「握手会」くらいしかなかったピークのときよりも、現場の多様性はかなり増えてきている。今のSKE48の楽しさはそこにあると思っている。

その多様性――かつては「アイドル」にあった多様性を、ここではあまり見せずに垂直的に構成しているのが今回のドキュメンタリー映画『アイドル』である。

これは結果的に新しい芽、多様なあり方を否定する作り方にはなっていないだろうか。今回はTBSの製作とは言え、運営の公式的なドキュメンタリー映画として扱われているため、なおさらそうである。制作サイドの価値観と合致するファンは結束を強められる映画ではあるが、そうではないファンは非主流派として排しやすい。そういった意味で、僕がこれまで「アイドル」に感じてきた醍醐味を否定されている気がした。

非主流派のヲタクとして

SKE48のコアは映画でも主軸に置かれている「ステージに懸ける姿勢を体現すること」である。そこをコアに置くのは観る側の僕も同じだ。それを観たいがためにSKE48のライブに足を運んでいる。最近だって、それが体現できた春の日本ガイシホールコンサートがある。ただ、そうしたコアの外にあるものだってあるし、表出されるあり方も更新される部分はあるだろう、という話だ。

この見方が、結果的に非主流派のヲタクになるのなら仕方がない。けれでも、先輩メンバーの価値観をそのまま継ぐのではなく、全盛期の体験がないならないなりに価値観を新しく更新して拡げてくれる若手メンバーがいてほしい。たとえば「6期に負けない」というそういう話ではなくて、自ら足跡を作っていけるはず。そんな子を応援したいと、僕は強く思う。

そうでないと、ナゴヤドームを目指すなら目指すでたどり着けないのではないか。クライマックスのカットは逆説的にその限界を感じさせるものだ。いろいろと考えたけれど、一回りしてそんな感想を抱く映画だった。

※改めて書きますが、2018年秋時点のSKE48を振り返る上ではこの上なく貴重な映像です。まだ公開されていない地域のSKEヲタクの人は迷っているなら観たほうがいい映画。否定的な側面の感想も書いておいてアレですが、いろんな感想を紡いでいくことが、この映画とSKE48の拡がりにつながっていくのだと思います。

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