見出し画像

どの集団でもお荷物になる人

インターネット上のコミュニティで「どの集団でもお荷物になるであろう人」が吠えてるのを目撃した。

どう考えても誰にも愛されず、スキル的な面でも劣っている人は、どうやって生きていくんだろう。どうやったらそこそこ幸せに生きられるんだろう。

貧困の子供は支援を受けやすい。シングルマザーも支援を受けやすい。本人はあまり悪くなさそうな弱者は支援を受けやすい。「助けてくれ」と言われれば助けてもらいやすいし、同情されやすい。

だがアル中で性格の悪い50代の貧困男性はどうだろう。親の年金をあてにしながら実家暮らしをしている無職の40代男性はどうだろう。「助けたい」という気持ちがあまりわかないし、「結婚したい」なんて絶対に思わない。

社会としては何とかなってほしいとは思うが、それに自分が手を差し伸べるか、直接支援するかといえば、なるべく関わりたくない。

お荷物になる人はどうやって救われるんだろう。お荷物って思っちゃだめ?働きアリの法則みたいに、世の中はつねに「働かない人」や「お荷物」が一定数居続けるという恒常性みたいなのが働くのかな?

頑張ってる雰囲気の人は応援されやすいけど、頑張ってない雰囲気の人は応援されにくいのもある。でもさ、頑張れる状態なら、応援されなくても上手くいく可能性はあるわけじゃん。なのに応援される。二重で良いし、人生加速しそうだよね。

逆に頑張れてないのは、本人の努力というよりも、頑張れない環境や精神状態かもしれないわけでしょ。頑張ってないと応援されにくいわけだから、よけい上手くいかないよね。

良いものはより良くなるし、悪いものはより悪くなる仕組みを何と言うんだっけ。

どんな世界も同じだよね。良いものはより良くなるし、悪いものはより悪くなる。悪いスパイラルにハマっているのに自力で良いスパイラルに引き上げるのはすごく大変なことだよね。

そしてその大変なことをやり遂げると、本人は「自分はとても努力したから幸せになれた!みんなもそうすべに!」と思っちゃうよね。脳みそマッチョになる。生き残ったものによる強者論みたいになる。

人間は人間という意味でみんな同じようなもんだ、みんなに可能性がある、的なことを言う人は恵まれた人だと思うね。恵まれた環境で生きてきた人と、生まれた家がそもそもハードモードな人とでは、人生の難易度が違いすぎるのよ。それを恵まれた環境で生きてきた人はスルーしていることが多いと思う。

どの集団でも煙たがられる人は、この先どうやって生きていけるんだろう。幸せになる道はあるのだろうか?

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?