失敗から学ぶしかなかったのか?

本日、色々と人生を簡単に振り返っていたのだけれども。まぁ、私は、人生とか考える重い奴さ(笑)

私は、過去に、病のことや仕事のこと交友関係や病院で、かなりの痛い目にあっている。これって、事前に回避できなかったのか、とかモヤモヤ考えていた。

もしかしたら、勉強してれば防げたかもしれないとか? しかし、特段、親などを責める気はないが、学ぶ選択肢が思いついていたとは思えない。私の親は、悪い人ではない(?)が、学があるような感じではないと。学で防げるのか定かでもないが。

それにしても、痛い経験である。回避できるのであれば、回避したかったが、あと知恵(?)なのか。今となっては、これらの体験から学ぶしかないのかもしれないが、それにしても痛いのである。。。

逆に考えれば、私は、それだけ、逆境などに耐えたとも言えて、えらい! 私 (^^)/ って、わけではありそうだけれども。

病に関しては、回避できた自信がない、もしかしたら、高校に行かなければ、回避できてかもしれないが、高校に行ってなかったら、進学もなく、今となっては、なにをしていたかわからない。

仕事に関しては、事前に、会社の仕事が偽装請負の疑いがあると予備知識があり、私としては、明確に、偽装請負には関わりたくない(疑いとしても)と腹を決めてれば、回避はできたと思う。しかし、この仕事は、今に活きている観点もあるし、私としても、システム監査あたりの勉強をしてて気づいた話で、学生時代に、システム監査の本を読んでいたかというと、無理だろうと。まぁ、事前に、匿名掲示板とかを見て、情報の精査などができる学力があれば、事前に、把握できた可能性はあるが。

交友関係については、私が、自分を粗末に扱いすぎていただけの話か、つまらない人間に誘われたらしっかり断ろうという話かもしれない、自分に苦痛を与えてまで、自称親友(?)と付き合う必要はないと、私からすると、他人でしかないと。

病院についても、医師に違和感を感じたら、早めに主治医としても、変更したり、紹介状が必要なレベルであれば、それなりの調整をして、紹介状を書いてもらった方が安全そうだが、傲慢でありそうで、病であるから仕方なく、通院しているとか、別の医師がいるなら、そちらに行った方がよいはずで。

痛みなんて、基本的にはない方がよいと、失敗とかしたくないが、予防線の張り方としても、無理なものは無理だし、自分の心身面の話もありそうで、お金の話もあるが、色々と削られた状態で、失敗を回避しようとか、全力を尽くせるほどの胆力が私にあるのあるのか問題か。しかし、自分の人生は、自分のものであり、会社としても病院だとしても、主治医だとしても、失敗した場合は、自分のものになるというか、会社や病院や主治医や上司としても、私の人生の責任を取るわけはなくて、取りようもないだろうって。

痛みとか、失敗から学ぶとか、痛いっす。。。