【エッセイ】桜ジンクス、アゲイン
過去のエッセイの再掲ですが、今の私の気持ちにとても近いので改めて投稿致します。
あの日顔面交通事故だったわたしは、現在多少は化粧の仕方を覚え、割れ鍋綴じ蓋夫婦を継続しております。
そしてあの日の桜は今年も咲くでしょう。
きっと見事に咲き誇ることでしょう。
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ある春の日、大学の庭でわたしたちは桜の木を見上げた。
野暮ったい女子大学生のわたしたちは、両手を上に挙げてそれぞれに構え立った。鼻息は荒い。
ふいにやわい風が吹いて、白い花びらがまばらに舞う。ダサい格好をした私たちは必死になって花びらを両手でキャッチしようとした。
「花びらを両手でキャッチできたら彼氏ができるよ」
なんの根拠もないジンクスを信じて、ブスの総動員のようなわたしたちは懸命だった。(わたしが通う女子大は半分が女子アナ風情、もう半分は顔面交通事故だった。わたしの友だちはみな後者でわたしは言わずもがな顔面大惨事だった)
「好きな人の名前を書いた消しゴムを最後まで使い切ると恋が叶うよ」
「髪の毛についた毛を誰かに取られると失恋するよ」
「ピアスを開けると運勢が変わるよ」
様々なジンクスを聞いてそのたびにクスクスと笑った。そのくせ、ちょっとだけ信じた。根拠がまるでないけれど、でもジンクスを信じることで次の一手が変わるのであればあながち大嘘だとも言い切れないかもしれない。
今はジンクスを信じるほど純粋でもなくなってしまった。まだお恥ずかしいほどに幼稚な性格を残してはいるが、年齢を重ねて自分の目で見て聞いたものを信じ、自分の頭で考えたものを優先するように変わっていった。変わっていったはずだと信じたい。
「きのこ類は冷凍すると栄養価が高まるよ」
「植物ミルクは満腹感を満たしてくれるよ」
「生卵は賞味期限を長く過ぎても問題ないよ」
これらはジンクスではなく、根拠に基づく事実及び生活の知恵だ。
わたしはジンクスを捨てて、生活に役立つ知恵を身につけていきたいと切に願う。
でもひとつだけ。
「仕事が上手くいかなくなったときは、使っているペンを別のものに変えると上手くいくよ」
このジンクスは捨てられなくて私のなかで生きている。
笑われちゃうかな。負けるごとにリボンの色を変える柔ちゃんみたいって言われるのはちょっと嫌だけど…。
「あ!!! 見て見て見て!取れた!彼氏ゲットだぜー!!」
ほらほらと同級生にぺちゃっとなった花びらを鼻先に見せびらかした。
「声でかっ」
ブスは総じて声がでかい。
そうして20年月日が経過し、ジンクス通りかただの偶然かわからないけれど彼氏を何名かゲットし、リコールされたり、酷い目に遭ったりしてなんとかこの割れ鍋を笑って許してくれるひとに巡り合えたんだ。
今年は初心に戻ってふうわりと舞う花びらに願掛けでもしてみようか。
「世界人類がしあわせでありますように」
そっと花びらを両手で受け取ることができたなら、そのままの姿勢で目を瞑って、世界に祈ってみましょうか。
「世界人類がしあわせになりますように」
澄んだ心で、昔のままの気持ちで。
どうか、どうか、桜。
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