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ファインディング趣味

もともと無趣味な人間だったな、わたし。
小説や漫画を読んだり映画を観ることは好きだったから履歴書の趣味欄に「読書、映画鑑賞」と都度書いていたけど、書くたびにつまんない人間だなと薄い目でしっかりした紙に書いた角ばった文字をなぞったりした。

大学に入ってからは高田馬場にある早稲田松竹と言う名の名画座にちょくちょく通っていた。安い値段で旧作映画が二本観ることができる。わたしは邦画ファンなので日常の地味な物語…いやいや心の機微が感じ取れる映画や青春映画をそれなりに味わった。映画館に行くと涙腺がばかになるのでどんな映画でも泣ける自信がある。
過去大泣きしたのは「おおかみこどもの雨と雪」「風立ちぬ」「かぐや姫のものがり」「ベイマックス」「湯を沸かすほどの熱い愛」アニメ多いね。とにかく視覚と聴覚をやられて泣いている気がする。映画館を離れるころには幾分スッキリしている。

そしてもうそろそろいいかな、という頃に母親に訊ねた。
「わたし、趣味は映画鑑賞って言っていいと思う?」
母親からはいいんじゃない?との軽い答えをもらった。
ううん、どうかな。趣味ってさ、人から認定してもらうことじゃないよね。今となってはそう思えるけど、当時のわたしはこれくらいの没頭程度で趣味を名乗っていいのか不安だったんだよね。

無趣味すぎて検索エンジンに「趣味」と入力して検索結果を見ては、なんかどれもいまいち…とぶつくさいう日々。そして趣味がないとどんどん退屈な人間に思えて、早く趣味を見つけなければと謎の焦りと使命感を抱えていた。
安心してください今も昔もこれからもわたしはつまらない人間のまま変わることはありません。

今の会社に入社してすぐに夫と付き合うのだけど、そんな中でもこれぞという趣味に有り付けず同僚になんかいい趣味ない?わたし無趣味でさーと質問したら
「きみはいま彼氏が趣味になってない?」
と言われてなーるーと唸った。
わたしは人とがっぷり四つで深いコミュニケーションをとることが好きで、いい感じにはまるとずっと一緒に過ごしていたくなるタイプだ。
言われてみればその当時は彼氏だった夫に首ったけで、趣味よりもデート先行だった気がする。
若さってやつですかね。首ったけってすごい表現。

そんなこんなで昨今は物を書くという一応は趣味っぽいものがみつかったわけだけど、やっぱりいずれは飽きちゃうのかもなと思ったりする。なんせ根っからの飽き性なのだ。
子供の頃から物書きを目指してせっせと腕を磨いている人と思いつきで書き始めたわたしとでは歴も作品に込める思いもまったく違うし長年書いてきた人には技術面でまったくかなわないだろう。
そういう人たちはわたしみたいなポッと出の人間なんて、嫌かもな。

何度も何度も同じ内容で書いて恐縮だけど、今は書くことが楽しいということだけをエネルギーにして書いています。
この先、書くのがしんどくなったら本を読んで楽しんでいくし、本も飽きたらひとりかふたりでぷらぷらあてもなく散歩をして買い食いして、世の中の風景が昨日とどう違うかなんてことを話し合いたい。そういうことを話し合える人と一緒に過ごしたい。
趣味なんて生活の余白部分でしかないんだからそんな緩い感じでいいんだよね。無理やり見つけるものでもない。
だけど、どなたかも言っていたけど、生きてくって壮大な時間つぶしに過ぎないから、趣味の範囲かどうかはわからないけどできるだけくだらなくて真面目なことしたい。
誰もやったことないことを、誰も考えたことのないことをいの一番にやってみたい。
こればっかりは二番手になったら意味がない。
そんな気持ち、わかるでしょう?

やばい寝落ちする。


#日記 #エッセイ



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