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趣味を探して三千里

#エッセイ

これと言った趣味を持たない20代の頃の私は、アルバイト先に提出する履歴書の「趣味特技」欄でいつも筆が止まり、うっと喉を詰まらせていた。

そして当たり障りのなく、真っ赤な嘘でもない「読書鑑賞」「映画鑑賞」を記しやり過ごしてきた。平々凡々なこの4文字に過去面接官が興味をもったことは一度もなかったのが救いといえば救いか。突っ込まれても深く答えられないし。(なお特技など存在しないものとする)

友人の趣味(それはドライブ、それは裁縫、あるいはコスプレ、お菓子作り、または陶芸や書道)などを見聞きするたび私はGoogleの検索枠に「趣味」と入力し、阿呆のように画面に溢れる膨大な情報をスクロールしては、そっとバツ閉じした。陶芸めっちゃお金かかるじゃん。

当時、旧作を二本立てで上映する名画座「早稲田松竹」の存在を知り、割と足繁く通っていたので「もう趣味映画鑑賞でいいよね?」と親に確認を取ったことがある。「別にいいんじゃない?」テレビを見ながらお煎餅ぽりぽり食べつつ興味なさそうに答える母。

違う違う違うそうじゃ、そうじゃない。

趣味とは誰かに認定されずとも、自分が趣味と思えるのなら、それは誰がなんと言おうと趣味なのである。……と、今の私は思う。

さて、少し前テレビで「根に持つ芸人」的な番組が放送されており、元来嫌なことをされたら末代まで祟る勢いの性格を持ち合わせる私にぴったりではないかと期待して鑑賞していた。

番組では南海キャンディーズ山ちゃんさん(忖度)の独壇場で、彼は嫌いな相手にエンカウントしたら小説のなかにそいつを登場させ、ボコボコにさせるとのことだった。そしてその小説の数は軽く星新一を超えているとの武勇伝だった。

なんと、思わぬところで山ちゃんさんとの共通点があり心が躍った。

そう、私が小説を書くきっかけにとなったのがまさに鬱屈した気持ちの腹いせだったから。
(私の場合は大抵ボコボコにして、いいひとに昇華させる)

今は身バレが怖いのでひよって流石にそのままの姿で物語に登場させたりはしないけれども。

小説を1本、2本と書いていくと時々煮詰まって(熟成するとの良い意味ではない)、気晴らしをしたくなる。

気晴らしにいつもより凝った料理をしてみる。気晴らしにレジン制作してみる。コラージュに手を出して百均で素材を爆買いしたりする。
糠漬けにチャレンジしてみる。
ラジオを録ってみる。社内のバドミントン部に参加してみる。プールでひたすら泳いでみる。イラストを描いてみる。手芸に挑戦してみる。

そのうちのいくつかは都度継続というわけではないが、時々気が向いたら挑戦して、そのうちのいくつかはもう2度とやることはないだろうなと固く決意したものもある。

(バドミントン部では女番長が仕切っていて鬼つまらなかったので3回で行くのをやめた)

履歴書に書く程度の趣味なんて話のきっかけくらいにしか思われてないだろうし(一切触れられたことがないが)、趣味なんて気晴らしになるもの、なんとなくやっちゃうもの、その趣味に浸っている時の自分が好きもの、くらいでいいんだろうなって今は思う。

私はとても飽きっぽいので、高齢になっても続けられる趣味を今は模索している最中です。
70歳になった私が書く小説はどんなのだろう。
「近頃の日本人はなってない。なんと嘆かわしい」とか完全に終わってる文章でないことを祈るばかり。

その前に私の手の生命線、めっちゃ短いのですけど、どうしたら長生きできますかね。



#前もこの題材で書いたかもごめんやで

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