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小説 『夢のような彼』

山手線の中で、佐藤二朗の大きな体にもたれかかる。汗の匂いと、車内の暖房の匂い。黒いコートを彼は羽織っているから、ガタイのいい体が余計に大きく見える。

わたしと彼との関係はわからない。だってこれは夢だから。ふと視線をやったわたしの左手薬指にリングはない。しかしこれも夢のなかなので未婚かどうかはあてにならない。

なぜならわたしは実際の生活でも結婚指輪を毎日つけるわけではなく、つけることもあれば外したままのことも多々ある。
既婚者である、と自身に言い聞かせる必要があるときにだけ、朝にそっとプラチナの輪っかをつけるのだ。あたかも、西遊記の猿に与えられた悪事を働くと額が締め付けられる輪っかのように。

佐藤二朗の胸に顔を押し当てると、彼はわたしの背中を撫でてくれる。せっかくふたりでの空間を過ごしているのに佐藤二朗はイヤホンをして、ときどき顎のあたりをおもむろに撫でる。
例の子犬を必死で守るドラマの登場人物のクセが私生活でも出ているのだろうか。彼の仕草を愛おしく感じる。

腰のあたりに腕を回して密着すると、少しだけイヤホンから音が漏れているのがわかった。電車の車輪がガリガリキイキイとレールを大きく擦るけれど、その間、ふっと無音になる瞬間がある。その瞬間に佐藤二朗のイヤホンからアメイジングな曲が流れる。それにこのご時世だもの、車内はガラガラでわたしたちしかいないから余計に。

たった今、流れてきたのはスピッツの「愛のことば」。彼は曲に合わせてわたしの背中をトントンと叩いたり、撫でたりしてくれるのが心地よい。いや、心地よいをはるかに超えてエモい。
「エモい」は総合的な言葉の集まりだから何度も繰り返し文章内で使ってると阿保に聞こえるけど、恋に落ちているときって大抵みんな阿保だから、常軌を逸しているから、思考の停止中だから、なんと呼ばれても腹が立たない。そう多幸感の真っ只中だから。

ぴっとりと体を密接するなかで気づいたことがある。やたら佐藤二朗の体温が高いように感じたのだ。ふと顔を上げて、彼のイヤホンをつまんで片方だけをそっと外した。

「ねえ、体が熱いよ。熱あるの? 大丈夫?」
「いや……そんなことはないと思うよ。予定通り家まで送ってあげるから」

役者ではない佐藤二朗との会話はいつも「ごく普通」だ。言葉のクセもほぼなくて、ごくごく普通に話してくれる。例のひきこもりの役の佐藤二朗は挙動不審だったけれどあれほど母性をくすぐるキャラクターもいなかった。目の前の佐藤二朗は、とても紳士で、ほんの少しだけズレている。人と話しているときにイヤホンつけているエピソードを持つのは槇原敬之くらいしか知らない。

わたしはすかさずバッグの中から体温計を取り出した。このご時世、37.5℃を超えると出社禁止となるためいつでもどこでも体温計を忍ばせている。佐藤二朗のコートのボタンと、シャツの第2ボタンまで外させて、体温計を忍ばせる。
体温計の代わりにわたしの全身を使って彼の体温を計れたらいいのになどと邪な考えがよぎる。なお、耳穴やおでこで計る体温計は高価なので所有していない。

1分足らずで検温完了の合図の音がなる。人気のない山手線の車両にピピピの音が響く。

「何度?」
「38.5」
「高熱すぎるでしょ。駄目じゃん。おうちまでわたしが送るね」

彼の自宅の最寄り駅で下車をしてコンビニでポカリスエットだの、ミネラルウォーターだの、ウィダーインゼリーなどを買って、うまい棒とパイナップルたべたい? と訊ねたら「それはキャラ設定なんだな、うん」とキャラのままでノリツッコミしてくれたのが嬉しかった。
「食べるならキャベツ太郎と桃ゼリーがいいんだな、うん」
微妙にうまい棒とパイナップルに似たり寄ったりのリクエストを受けて、佐藤二朗の自宅へ送り届けた。彼は有名な愛妻家で、でもこれは夢だから奥さんと鉢合わせなんてことにはならない。

ベッドに大柄の彼を横たわせて、冷えピタを貼る。冷えピタが若干小さく見える。掛け布団をふんわりとかけて、彼のもったりとした瞼がゆっくりと閉じられるのを観察する。

これは、あれもしたい、これもしたい、もっとしたいもっともっとしたい、はひとつも叶わず、大したオチもなく、佐藤二朗を自宅に届け、なんのラブロマンスも起きなかった夕方の夢。
わたしの左手薬指にプラチナの光は、煌めかない。


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佐藤二朗氏といちゃつく夢を見ました。ツイッターでそのことを呟いたらかなったさんに、夢の内容を書いてメンションで佐藤二朗に送れば?と提案を頂きました。メンションするかどうかはさておき、とりあえず書きましたよ、夢の小説。

#夢の小説 #小説 #佐藤二朗 #掌編




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