2024.3.4(月) カペリート 編み物 コメダでいちばんすきなたべもの 老いて朽ちていくものへの哀れみ

ちょっと面白い夢見た。絶対昨晩YouTubeでみたカペリートの影響。母と彼に話したけど肝心のカペリートが伝わらなかった。 私の中では結構大衆的なものと思っていたんだけれど、どうやらそうでも無いようだ。

ぼちぼち支度をして、実家近くのコメダへ向かう。
昨晩突然思い立って連絡をし、母に会うことに。編みかけのバックの仕上げを教えてもらう。

母が、もういよいよ固形物が食べられないらしく、最近お粥ばかりを口にしているという。母はタバコと酒と共にすごした半世紀だったので、まあそうなるよねとは思っているが、自己責任とはいえ 可哀想だ。食べることの喜びを大切にしている母とわたしの感覚は似ていると思う。食べたいものが食べられない苦しさも。何か出来ることがあれば、できる限りはしたいなと思った。

ミルクコーヒーと、たまごのピザトーストを頼む。コメダでいちばんすきなたべもの。
ケチャップでふやけた食パンに、柔らかいチーズとたまごディップが殆どを占めている中心部分だけ、食べられそうだったので母に分ける。
ご高齢の方がご飯を食べているのをみると、うれしい気持ちと、大丈夫かな と心配する気持ちがいつも生まれる。食べられることに、良かったなと思うし、でも無理して食べなくていいんだよとも思う。たぶんこれは、知らんおじいおばあに対しても、思う。この感覚はなぜかずっと持ち続けている。これはいつ どこで生まれた感覚なのだろう。

もうほとんど形になって、あとは糸始末というところで、知らないおばあさんに「何編んでるの?」と話しかけられる。少し世間話をして、彼女はそのままお会計へ向かった。
そのときのやりとりが、ほんとうにたわいもなくて、すごくよかった。さっきまで一挙一動に心配していた目の前の、思えば歳をだいぶ重ねしわしわになっていく母が、おばあさんとやりとりしている時はなんだかずっとしっかりして見えた。自分よりも長く歳を重ねて、終わりに近づいていく人を見ると、なにとはいえない哀れみが湧くのだと思う。母はずっと、愛情深い人だった。哀れなのだ、母も。その愛情が、良い方向に働くときと、そうでないときがあるだけ。

母と別れ、帰宅。
昨晩の落ち込み具合と変わらず。ということは、悪化はしていないということだ。今日はお湯に浸かろう、と入浴剤を選んで入れる。いいかんじのしゅわしゅわで、癒された。

日記を書く気力がなかったけど、寝る前に簡単にでいいから書くかと手をつけたら、案外すらすらと言葉が出てきた。なんにも生み出せる気がしなくても、指先とか 脳とかは覚えてくれているみたい。わたしの体に感謝。

明日は好きなカフェに行く日。取り戻せるといいな。
眠る。


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