ダウナーになりたい理由

メンタルがかなり普通、ってことは今は調子がいいのだろう。いくつかのやるべきことをやり、余裕を見て好きなごはん屋さんに行き、かなりの頻度で昼寝する。「頑張り」は足りない気がするが、幸福度はいい感じ。それでいいじゃん。

無い物ねだりがすぎるかもしれない。こういう時は、ダウナーな時期を羨ましく思う。何か憂鬱の原因があって、そいつのことを考えながら負の感情を味わう。対処法がないから必死に言語化する。短歌を書かざるをえない。そんなのが羨ましくなる。

でもわたしは分かってる。なぜダウナーな時期を羨ましく思うか。それは感情的にいっぱいいっぱいになることで、たいしたことをしてないのに「頑張ってる感」「必死に生きてる感」を感じられるからだ。

ダウナー自体が羨ましいんじゃなくて、「頑張ってる感」に依存してるだけである。

頑張ってる感がなくても生活を成り立たせたり、もっと前向きで意味のあることにエネルギーを使えばいいのに。

だからね、あえてダウナーに寄らない。やりたいことややった方がいいことに意識を向けて、エネルギーを感情ではなくて行動に向かわせる。

病みがちがデフォルトだった人あるあるだと思うんだけど、どうだろう。悩んでることにすれば必死で生きてる感が出てきて、それが行動しなくてもいい正当な言い訳になる。いまだにこれをやらかす。

30歳になってから、謎の体調の崩し方をしたり、考え方があっさりしてきたり、少しずつ年齢にそぐう感じになってきたな。

ずっと28歳くらいで死ぬもんだと思ってたから、もう第二の人生と言っても違和感ない。第二の人生、普通に、生きていくしかないんだ〜。「普通に」っていうのは、平均的にというよりは、目の前のことに対処していく淡々とした日々をやるんだ〜って感じ。どんな生き方でも平均ってないからな。

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