2017年10月18日(水)の日記。長いよ。
【今日はなにもしなかった。】
何もしてないわけではないけど、生産的なことや義務的なことは何もしなかった。
したことと言えば、大学に提出書類を出しに行ったこと、1時間ウォーキングとマラソンの中間みたいな動きをしたこと、冬物を出して夏物をしまったこと(これを日本人は「衣替え」と呼ぶ)、新潟への滞在の準備(と言っても、夜勤で泊まりなれしてるので、特に何もしてないや)をしたことくらい。
昔の自分と比較すると、「何もしてない」と言いながら「けっこう動いた」。
だけど、最近ネットで追いかけているアクティブな人達に比べると、何もしてない。基準が高まった証拠か。
【「頑張る」の基準(自己欲求水準)が高まるとどうなるのか?】
意識の高い人を見て、自分も少し真似して、行動し始めたときって気分がいい。まるで、自分もそのすごい人達の仲間になった気分。「あっち側の人間」になった気分。
でも、元々グータラだった人間が急にスイッチが入ったからと言って、頑張り続けるのは難しい。どっかでプツンとスイッチが切れる。それは一瞬であって、またすぐ復活するかもしれない。もしかしたらもう、一生スイッチは点かないかもしれない。分からない。
とりあえず、スイッチが切れるとどうなるか。自己嫌悪。もやもや。あの「仲間」のように感じていた意識の高い人達が、再び「あっち側の人間」になってしまう。自分と「あっち側の人間」の差を痛感する。
そして多分、人によっては「どうせ自分はこっち側の人間なのだ」「夢見てた」「現実に戻ろう」とあきらめる。また、極端な人は、「あっち側の人間」にいらだちを覚え、「あいつらは変わり者だ」と吠えるかもしれない。
何が言いたいのか分からないけど。
やる気を奮い立たせなくても、それなりに行動してればいい感じの位置にいられるような環境に身を置くことって、大切かもしれない。
塾に通ってれば、たいして力を入れなくても点数が良いのと同じように。
とりあえずそこにいれば、最低ラインはクリアできる、みたいな環境に身を置くことって大切だと思う。うん。うん。うーん。
【美味しくて健康的っぽいものを食べるのが好き】
私はどうやら、料理や食への興味が一般的な人間よりは高いらしい。料理や食への興味偏差値50くらいだと思ってたけど、話を聞いてると、どうやら58くらいはありそう。
自分で食べるものくらいは自分で作りたいと、結構前から思っていたらしい。「らしい」ってなんだよ、という感じなので軽く説明すると、私的にはこの前の「半農半Xインターン」で「自給自足欲」が開花したと思っていた。でも、どうやら、高校生の頃にはすでに「自給自足欲」があったらしい。昔の日記に「自給自足したい」とか「海に住みたい」とか書いてあったので、根は変わらないなぁと思う。
多分高校生の頃は、概念としての自然が好きだった。都会や家の中にいながら、「自然いいなぁ」って憧れる感じ。憧れて終わり。夢はあるけど叶える気はありません、って感じ。
でも最近は、違う。概念としての自然ではなく、本物の、実物としての自然が好きなことに気付いた。作られた庭や人工的に等間隔に植えられた街路樹的自然には反応しない。無法地帯みたいな自然が気に入っている。まぁ、そこに住んでないから「無法地帯の自然が好き」なんて無責任なことを言えるのだろうけど。
【明日から(正確には今日の夜行バスにて)新潟県柏崎市のかやぶき屋根の集落、荻ノ島に行ってくる】
あと3時間くらいで家を出るので、そろそろお風呂に入ったり、荷物をまとめたりしなければ。
荻ノ島に行く目的は、来年の移住先候補を見るため。自分と同じように、若いうちから田舎に住んでいる人(ちょっと先輩だね)に会って、お話を聞いたり生活をのぞくため。そんな感じ。
でも、本当は、ただただ田舎に逃げたいだけなのかもしれない。
田舎って、なんだか「癒される」って表現される。でも、私的には「癒される」というよりは「許される」っていう感じ。
田舎って、色々なことを許してくれる感覚。実際許されるのか、また何を許されるのかは分からないけど。無条件で「生きてていいよ」「何もしなくても生きてていいよ」って言われてる気分になる。だから、好き。いや、好きと言うより、勝手に導かれる感覚。
残念ながら、滞在中は基本雨。私は晴れが好きで、というか雨に弱くて体調が心配だけど、まぁ大丈夫だろう。
田舎に許されてこよう。
【文章を書くということ】
私は無限に文章が書ける人だと思ってた。だけど、違った。昨日あたりまで究極的にメンタルがへこんでて、ろくに文章を書けなかった。
あぁ、私は無限に文章を書けるわけではないんだな。
そういえば、小2の頃、村上龍さんの「13歳のハローワーク」が流行った。父が買ってきてくれた。私は読書が好きなわけでもないのに、なぜか「小説家」だか「作家」のページに〇を付けていた。
そして、こんなことが書かれていたのを覚えている。
「小説家は、医者をやったあとでも、学校の先生をやったあとでもなることができる。今すぐに目指すものではない」
こんな感じ。(見たのがリアルに15年前なので、詳細は違うかもしれない)
物書きって、若いうちにやるもんじゃないのだな、と、そのときに分かったような気分になった。
だから何ってわけじゃないけど。
文章を書くのをメインにするのは、焦らなくていいってこと。
目さえ健康なら、多分、物は書けるんだと思う。だから今は、足を使う作業をもっとするべきだなぁって思った。動き回る系のこと。
終わり。いつも紙のノートに書いている日記を、noteに書いてみた。
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