見えない世界を持つということ
わたしは見えない世界を持っている。どんなに疲れていても、心を遠くに飛ばすことができるから安らぎを得られる。
占いも見えない世界のひとつ。水星は存在する。金星は存在する。でも水星がコミュニケーションをつかさどる根拠などない。金星が愛情をつかさどる根拠などない。
それでもなぜか当たるときは当たるし、同じ取り決めの中で生きてる人がたくさんいるから、それはそれとしてひとつの正しさと言える。
根拠がないとしても、何人かで同じことを信じたり、信じる取り決めをすれば、それはそれでひとつの正しさになる。
何人かの合意があれば、ひとつの小さな、でも確実な正しさは作れる。
客観的な正しさの中で生きる人にとっては、ばかくさくて、ふざけてるように見えて、意味不明なこともあるだろう。
でも正しさは人それぞれ違うのだから、もう生きてる世界が違う者として見るしかないのだと思う。
見えない世界を持つと、メンタルが斜め上の方向で強くなる。カチカチの地上の強さではなくて、雲ができたり消えたりするような、月は欠けてもどうせ満ちるような強さ。また巡ってくるから大丈夫だよ、そういうときもあるから大丈夫だよ、という宇宙全体に対する包括的で安心感のある強さ。
そういう強さを獲得できる。
宇宙全体に対する安心感があると、強い。わたしが言う宇宙というのは、本当に宇宙なのかもしれないし、世界や社会かもしれないし、見える環境のことかもしれないし、自分視点の単なる半径2~3メートルの景色のことかもしれないし、自分の内部にあるイチミリの大事な部分のことかもしれない。
宇宙という言葉が便利だから宇宙という言葉を使っている。
地上でカチカチになってないで、溶け込める次元に溶け込みながら、自分の安心感の中で生きていく。
正しくない正しさ、自分なりの正しさ、主観。そういうもので精神を調整しながら何食わぬ顔で現実世界をいい感じに生きていく。
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