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お金を得てもメンタルが安定しても本質は変わらない

お金を得てもメンタルが安定しても本質は変わらない。フリーランスを目指していた大学4年生のころは「会社に所属せずに月20万円を稼げるなんて夢」だと思っていた。でもそれは大学を卒業して4ヶ月ほどで達成した。全く夢ではなかったし、月20万円を稼いだところで何も変わらなかった。もちろん生活できるようになったことは良い収穫ではあったけれど、だからと言って思い描いていた世界が急にやってくるわけでもなく、そもそも思い描くたいそうな世界などなく、自動的に幸せになるわけでもなかった。一瞬の喜びとぬるい余裕が続くに過ぎない。

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現実世界が苦しいだけじゃ人生は終わらないし、空想メインの人生もある。何かを変えなくてもいい。他人を変えなくてもいい。それを分かってるのに自分や身内が変わらないのを見るとモヤモヤする。期待があるからだろうか。

高校生の頃は現実世界を変えることはできなかったので、ただ心を遠くに飛ばすという作業をしていた。自分の部屋で目を瞑り、ここではない想像上の大自然を頭に思い浮かべて心だけはそちらにいるような感覚。自分には何も変えられないけど、ただイメージしていた。瞑想もマインドフルネスも何も知らなかったけれど、ただ「心を飛ばす」という作業を自分でしていた。現実世界が辛くて逃げられないからこそ見えた景色は綺麗だった。星は夜だから見えることに勇気をもらった。暗さに満ちてるから綺麗に見えることもあると知った。

現実世界と空想世界、自分の心をどちらに住ませるかは個人の自由。現実世界を無理に変える必要は、ないことだってある。心を自由に飛ばすことができるのなら、現実世界は身体があるだけのサブ的な場所。どこをメインにするのか、どこに心を預けるのかは、いつだって、どこだって、どんな人だって選べる。

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自分の変わらなさを誇りに思ったり呆れたり。変わらないことを良いと思えるのは、それ自体が綺麗だからなのか。変わることを良いと思えるのは、右肩上がりにしか価値を感じられないからなのか。

正しさは、自分。選択は、自分。「絶対違うじゃん」って何かのベテランに言われたとしても、その時点でその人が選ぶものは全て正解。あれもこれも正解。ただ「自分がどうしたいのか?」に「今」という条件が加わっただけのシンプルな構造。今は今しかないのだから、時間の経過でごまかしたりせずに「今」をそのまま見ていたい。今を重ねた先に結果的な嘘が生じたとしても、今を大事にした証拠だと思って自分を誇りに思いたい。一人で生きていけると錯覚してしまう世の中で自分は何を選ぼう。

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