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ボタンの王国


 自身の記憶がはっきり残っていると自覚しているのは
幼稚園児の頃からだ。
大きな紙に鯉を描いて、切って、棒に貼り付けて、ようやく出来たこいのぼりを園児の誰かに踏まれ、泳げなくなった鯉を見て途方にくれたり、自由時間に一緒に遊ぶ人がいなくて絵本や図鑑ばかり見ていていたこと…そこで見た『人間のからだ図鑑』に載っていた成長ホルモン異常による病気である『巨人病』の写真を見て、「自分もこの病になったらどうしよう」としばらく気に病んでいたり等、楽しかった思い出はほとんどなく、何十年経った今でも心が少しチクチクする事が記憶として多く残っている。

とにかく幼稚園から家に帰るとホッとするのか、息を吹き返したように元気になり、たったひとり仲良くしてくれていた近所のミカちゃんが「ナオミちゃんて家と幼稚園とぜんぜん違うなぁ」と何度も言った。二重人格?と言われたようで気まずく思ったが、ともかく家に帰ると呼吸がしやすいのだった。

実家で好きだったのは、2階の小さな踊り場にあった西日の入る小窓で、大人になってから知った名称なのだが『型板ガラス』がはめられており、大小様々の楕円形模様に西日が降り注ぐと、本当に綺麗で、しゃがんだり、斜めから見たり、動いて反射を楽しんだり…夕焼けになるのが待ち遠しかった。私はその小さな踊り場を『光の部屋』と名づけていた。幼い時から今もずっとガラス細工やガラス製品が好きなことの始まりはあの小さな小窓が始まりかもしれない。

もうひとつ私がとても気に入り大切にしていたのが、おそらく祖母が長年集めたであろうたくさんのボタンだった。祖母のタンスの上に乗っていた木製の小さな小物入れの引出しには、古くなった洋服から外したボタンや、洋服を買った時についてくるスペアのボタン等、数も形もバラバラなものがたくさん入っていた。
私はそのボタンを使って『ボタンの王国遊び』ということを思いつき、くる日もくる日も王国遊びに興じた。
えんじ色の500円玉よりひと回り以上大きなボタンが王様で、これはえんじ色のビロードのマントを纏った王のイメージから選んだのだった。
そして王子様として、水色に細かい銀色の縁取りが施されているボタンを選んだ。
ワイシャツ等についている半透明の小さなボタンはたくさんあったので、それらは家来として使った。

「今日はボタン王国の王子様にお姫様を迎え入れる日です!」
水色に細かい銀色の縁取りが施された王子様に相応しいお姫様を選ばなくては…私はボタン入れをひっくりかえし、お姫様役のボタンを探した。淡いピンクのボタンはどうだろう?いやあまりにも小さすぎてこれは子供ではないか…赤いくるみボタンはどうだろう、いやこれはあまりにも古ぼけていてオバさんではないか…的役が見つかったり見つからなかったりしながら、色々なシチュエーションを作って遊んでいた。

小学校3年生の時に「このままではいけない」と急に思い立ち、無理におどけたり、はしゃいだり、活発な風になっていったのだが、やっぱり本当の自分はネガティブで、みんながこいのぼり片手に駆け出していったあと、1番最後に泳げない破れたこいのぼりを持ってとぼとぼ歩く幼稚園児の自分を内に持っている。

たくさんの友達と遊んだ幼い頃の自分はいないけれど、路地に生えていた雑草をヤクルトの瓶に挿していたら祖母が喜んでくれたことや、西日に反射するガラス窓を見た高揚感や、『ボタン王国』の空想をしている時の没入感等…そういったものがチクチク傷んだ心を滑らかに治してくれていたように思う。
他の人からすればなんでもない幼い頃の一コマであるけれど、私の中ではどんなシーンよりも何度も何度も繰り返し映写されるシーンなのである。
そして、当時のひとりぼっちや泣きたかったことが時間をかけ、いい発酵をして大人の今を助けてくれているなと思う。









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