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ワタシの家じゃないけれど

 毎年受けている健康診断の場所は、私の住んでいる街の1番大きな駅の側にある。駅の東側、北側は再開発で何年も工事が続いており、数ヶ月単位でご無沙汰すると見知らぬビルが建とうとしていたり、あったはずの建物が無くなっていたりする。
私は健診に行くたびに、ちょっと楽しみにしている景色があった。
駅周辺のビルの谷間にひっそり有り続けている『ある古い一軒家』を見るのが楽しみで「今年もあった!」と
安堵して健診会場に向かうのが毎年の常であった。

赤茶けたトタン屋根に、黒く煤けたような色の木の壁。
そして家の前にはとても綺麗に手入れされた小さなお庭があり、雑草ひとつ生えておらず、きっとそこに住んでいる誰かが丁寧に草を引いているのだと思った。
花壇には小さなパンジーや背の低い花が咲き、庭木もそう高い背ではなくきちんと剪定がされ、花壇と庭木を両側に見ながら数歩歩くと木枠とガラスの引き戸の玄関に着く。そんなしつらえだ。
その古い家の両側には飲食店の入るビルがあり、向かいには家電量販店がある。

駅近の一等地ゆえ、おそらく、いやきっと、何度も「この土地を売りませんか?」と声がかかったに違いない。
周りの景色がどんどん変わっていってもそこに居続けている見知らぬ家主はどんな人なんだろう…
私は家の古さときちんと手入れされた庭を見て、勝手に『優しいお婆さん』が住んでいるのだと決めつけていた。
「お婆さん、今年も綺麗にパンジーが咲いてますね」
「お婆さん、お庭に軽自動車がありましたが、息子さんが来ていらっしゃるのですか?」
一方通行の会話をしながらその家の前を通り、年に一回の検診に通った。

そして、今日、検診に向かう道中、
「あれ?…無い!」
あの家が無くなっていた。
大手ゼネコンの名前が書いてあるパネルがはりめぐらされ、隙間から見えたそこは更地になっていた。
ついにあの古い家は取り壊され、ビルが建つようだ。
お婆さんは亡くなってしまったのだろうか…
1人で暮らすには辛い体調になってしまったのだろうか…
いや、お婆さんが住んでいたのかも分からないし、ただただ私の妄想でしかないのだけれど。
ビルの谷間に、そこだけ昭和初期の雰囲気を醸し出していたあの古い家は無くなってしまった。
ワタシの家じゃないけれど、とても好きな家だった。
ワタシの家じゃないけれど、小さなお庭が好きだった。
もし家を持つ事が出来たなら、あんなお庭にしてみたいなと思った。
あの古い家について何ひとつ本当の事は知らないし、
私は借家に住み、何ひとつ持ち得ていない。
何もないのだけれど、
なんだか思い出すだけでちょっと泣きそうになるようで暖かいものは頂いたので、私の心の箱に入れておこうと思う。

#エッセイ
#家
#お庭
#古い家


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