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還暦は、二度目のハタチ。

2024年4月 母と歩けば


本連載企画の序章はこちらから 
#coin-scope 001(序章)
#coin-scope 002(続 序章)


ラスト・ディケイドを生きる91歳の日常

 雪解けの3月から、まだかまだかと4月を待ち焦がれていた母である。
 転倒の心配をさほどすることなく、お出かけができるからだ。
 雪道は怖い。解けても凍っても怖い。命の危険に直結する。

 大袈裟な話ではない。実際、母は70代半ばの頃、買い物帰りのツルツル路面で転び、たんこぶをつくった。念のためということで自ら隣の病院に立ち寄り、診てもらったそうだ。といってもそれは後から聞いた話で、転んだこと自体、知らなかった。

 3カ月くらい経った頃、来客時に父と玄関に出た時、客の挨拶に無反応な様子を見せたのを怪訝に思った父が、そういえば最近、動作もどこかおかしい、立ち歩きの様子にも傾きがある、ということで強制的に隣の病院に連れて行き、受診。たまたまたんこぶの時の先生の出勤日だった幸運に恵まれ、硬膜外血腫がわかり、即入院して頭に穴を開け、たまった血を抜いたという経験をしている。
 退院後、本人に、自覚症状がどの程度あったかを聞くと、「カレイに包丁入れようとして、何度も刃を立ててるのに、全然切れなくて、ヘンだな奇形の魚なのかなって思ったよ。今にして思えばこっちの手がおかしくなってたんだね」と言っていた。
 
 春のおでかけ。短大時代の友人とランチやお茶を楽しむ、通称「ババ会」。なんだかんだで当初の人数から何人かは減ったようだが、それでも90過ぎの女子会に毎回5人程度が参集するというから驚きだ。それぞれ夫が定年になり、自由な時間を持てる60代になってから細く長く続いてきたようだが、年月を経て今は未亡人の集いになった。年に数回、みんな楽しみに連絡をとりあっては日時と場所を決め、おしゃべりに花を咲かせるひとときを大事にしている。

 4月になってすぐ、「6日で予約したそうです。ルンルン」と可愛らしいメール。
 持ち回りの幹事から期日と場所の連絡を受け取ると、母は壁のカレンダーに予定を書き込み、服装を考えたり、みんなに配る小さなお土産を準備したり、その日に向かって機嫌よく暮らす。
 当日は私も仕事をしながら、みんなちゃんと会えたかななどと案じている。帰路につく頃、「楽しかったわ、これから帰る」というメールがくるとほっとする。
 メンバーの中に、認知症の兆しが出てきた人がいたのは聞いていた。待ち合わせ場所に一人で辿り着けなくなり、途中まで誰かが迎えに行くようになっていたのだが、今回から日時の覚えもあやしくなり、とうとう離脱したことを知った。

 父が亡くなり、母は今、生まれて初めて一人暮らしをしている。
 一人で寝起きし、一人で食事をする毎日の心細さや味気なさを思うと切ない気持ちになるが、かといって実家で一緒に暮らす選択肢は私にはない。18歳から一人暮らしをしてきた還暦の人間が、18歳まで一緒に暮らした実の親とは言え、再び誰かと暮らすのは、私の場合、結婚と同じくらいイメージできないので不可能だと思っている。週末に顔を出し、昼食を共にし、家の中の細かな雑事を手伝うという以外、今は考えられない。

 母は私から見れば完全にフレイルと呼ばれる状態で、それこそ転倒などしようものならバタバタと悪い方に展開していくのは目に見えているが、杖があれば歩けるし、近くのスーパーで買い物だってできるので、90歳を過ぎていようが要介護どころか要支援にも該当しないのだそうだ。父亡き後、父のケアマネージャーだった方に相談したところ、そう言われた。なので、何か起きるまではずっとこのまま、週末通いが続くと思う。

 一人暮らしを始めるにあたり、母にあらためてもらった生活習慣は、「日中でも鍵をかける」ということだった。

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