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還暦は、二度目のハタチ。

2024年1月 旅支度そして出立(後編)


死ぬまで続けたいライフワークの仕組みを思いつく。

 全国に150万人余りいるらしい、還暦男子と還暦女子。もし私が会社員だったら、還暦は定年の年として、人生の大きな節目になっていたことだろう。家庭を築いていたなら、第二の人生と称して家事も定年とし、趣味をエンジョイしたり、夫と海外旅行に出かけたりしていたかもしれない。
 しかし、そうではない。自分の場合は今まで通り、働ける限り働いて、口を糊していかねばならない。まだ誰も経験したことのない超高齢化社会で。リアルタイム当事者の一員として。

 そんな二周目を人知れず生きてゆく私の、ささやかな大冒険。自分の目で見た小さな日常世界を切り取って、旅の日誌を綴っていこうと思った。
 自分のために。自分のような二周目を生きる、あるいは生きてゆくかもしれない誰かのために。そして天体観測や定点観測をするように、人生ウォッチングを愉しみたい大人のために。

 昔から、眺めたり観察するのが大好きだった。高所恐怖症だが高層階や飛行機の窓から地上を眺め始めると、目が吸い付いて離せなくなる。
 蟻より小さい人々の営みの気配を見つけては箱庭を愛で、日が沈み、明かりが灯り始め、暗転の中で宝石箱へと変わっていく様を見るに至っては頭蓋骨の中がとろけそうになる。

 暗いところから明るいところを見る時、あんなにも高揚するのはなぜだろう。産道から此の世へ、的な魂の記憶か。光景という言葉がぴったりくる。
 
 峠の展望台にあるような、望遠鏡も好きだった。百円玉を入れると、いきなり視界が明るく開け、慌てて対象物を定めながらピントを合わせていくあの感じ。
 自分の旅日誌もあんなふうに覗いてもらえるイメージがいい。百円玉で鍵を開けて覗く、人生望遠鏡だ。


百寿のご褒美は、満天の星の如き480個の百円玉。

 百円玉の何が良いって、昔も今も変わらない、あの可愛らしいメダル感だ。マネーではなく、あくまで小銭。昭和32年生まれの先輩に、あと四十年の健在を祈る。
 私が百寿で召される時、頭上に広がる天の川で祝福してくれるのは、480個の百円玉メダル達・・・というのは自分だけのファンタジーだが、そんな絵を頭の片隅に置いておけば、星が見えない夜の日も、心許ない足元をやさしく照らしてくれそうだ。

 480個というのは、月イチで40年間連載し、毎月1人が望遠鏡を覗いてくれたと仮定しての数。名も無き還暦女子の旅日誌を、わざわざ対価を払って読んでくれる奇特な人がいるのかどうかは疑問だが、秘境の一軒家を探しあてるようにどこかの誰かが見つけて覗いてくれたら・・・と密かに夢想するだけで楽しい。

 旅日誌、それは自作の走馬灯。
 三途の川を渡っていく時、リプレイして懐かしみたいあれこれを、忘れないよう書き留めてゆく。生きながら変わってゆくであろう自分の、また、決して変わらないであろう自分の記録として。

 そんなわけで、これは私のライフワーク。晴れの日も、雨の日も、命ある限り毎月書き続けて、できるだけ機嫌よく、二度目のおとな人生旅を全うしてゆきたい。
 百円玉というニンジンをぶら下げて。

#coin-scope 002(続 序章)

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