受け手を信用して文脈をつくる

文脈をつくる。

最近私が口癖のように言っている言葉です。

これは私が独自に生み出したものではありません。すでに文脈を上手につくっている人が大勢いたのです。活躍しているクリエイターやインフルエンサー、個人的にすごく魅力を感じる人々を観察しているうちに、個人がこれからの時代を生き抜くうえでの文脈の重要性に気付きました。私は生涯、作家活動を続けたいと思っているのですが、そのうえで絶対に欠かせない要素だと思っています、文脈。すでにn番煎じ感が漂うレベルで、多くの方々が重要視していることです、文脈。

文脈とは、ざっくり言うと前後の流れのことです。ここでいう文脈とは、文章の中のことに限りません。とある出来事、とある人物、とあるアウトプット、どんなことにも文脈は発生すると思いますが、特に個人が何かしらの活動をしていくうえで、とても重要なポイントだと考えています。

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具体例を考えてみました。例えば、めちゃくちゃお下劣な漫画を描く漫画家がいたとします。仮に漫画家Aとしましょう。あなたが成人女性だとして、その漫画を初めて目にしたとします。小学生どころか幼稚園レベルの下ネタばっかりで、とてもじゃないけど女性は読みづらいし、あんまり笑えないし、絵もそれほど魅力的じゃないし……なんでいい大人がこんな漫画描いてるの? と、漫画家Aに嫌悪感すら抱くかもしれません。

しかし、その漫画雑誌にはAのインタビューが掲載されていて、こんなことが書いてあったとします。
『僕は小さい頃から何をやってもダメだったんです。勉強も運動もできないし、対人関係が苦手で友達もできなかった。唯一、絵を描くことが好きで、下手くそだったけどこっそり描いていたんです。小学生のとき、こんな感じのくだらない漫画を描いていたら、おばあちゃんに見つかったんです。やばい! 怒られる! と思ったんですけど、「あんたは才能があるから漫画家になれ」と言ってくれたんです。大人に褒められたのはそれが初めてだったし、大好きだったおばあちゃんに褒められたのが嬉しくて、それからずっと、こういう漫画を描き続けているんです。漫画家としてデビューできて、天国のおばあちゃんも喜んでくれていると思います』
どうでしょうか。このインタビューを読む前と、読んだ後では、ちょっと漫画に対する目線が変わりそうじゃないでしょうか。場合によってはAのことを応援したくなっちゃうかもしれません。漫画がめちゃくちゃお下劣であることに変わりはないのに、です。

なぜかというと、Aがそんな漫画を描く理由を知ったから、そしてそこに感情移入してしまったからです。このように、第三者を納得させ共感を呼び起こす作用のある“理由”や“過程”のことを、私は文脈と呼んでいます。

YoutubeやSHOWROOMから大勢の人気者が輩出されていますが、彼らは文脈をつくるのが本当に上手です。彼らについて考えるとき、成功体験の共有、というキーワードが出てくると思うのですが、まさに文脈の成せる技です。最近になって文脈による共感収集を一般的にした走りは、やはり某会いに行ける系アイドルグループでしょうか。または、特定のスポーツ選手を応援したりする人々にとっては、人間性を含めて成長を見守るだなんて当たり前だよ、という感じなのでしょうか。いずれにせよ、個人のバックグラウンドを知ってしまうと、人間はその人に少し特別な感情を抱きやすいというのは、皆さんも身に覚えがあるのではないかと思います。 知人のギャラリーオーナーはとある作家に対して、作品を見たときはなんとも思わなかったけど、本人と会って話したら作品ごと好きになってしまった、と言っていました。

よく「贔屓目」と言いますが、それは文脈を知っている人の視点のことかもしれません。家族や友人だからという理由で応援したくなるアレです。赤の他人がまったく同じことをやっていたら恐らく見向きもしないであろうことでも、その人が家族や友人だというだけで、応援するための正当な理由になってしまいます。

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これだけモノや情報があふれかえっていると、受け手側も判断をするのが大変です。完成品だけ見せられて良し悪しを判断するって、当然のようにやっていますが、けっこう負担が大きくないですか? 単純に好み! とか、見た目が抜群に良い! とか、圧倒的なカリスマ性があふれ出ている! とかじゃない限り、判断するためには色んな情報が必要ですよね。

きちんと判断をしてもらうためにも、発信側には説明をする、文脈を見せる責任すらあるんじゃないかと感じています。なぜそうなったか? を知れば、結果に対する見方は変わります。第一印象は第一印象でしかないのです、一目惚れも科学的には脳の勘違いだそうですし。もちろん説明したところで全員に届くわけじゃないし、説明しろと言っておいてまったく聞かない人もいますが、そこに気を取られても仕方ないです。説明すれば理解者が1人でも増える可能性があるんだったら、絶対したほうがいいと思います。よっぽど倫理的にやばい内容じゃなければ、そんなに嫌われることはないだろうし、何より受け手側は内容よりも「説明した」という行為そのものを評価してくれるんじゃないかと思いますが、どうでしょう。

私を含めほとんどの人は、残念ながらカリスマじゃないんです。カリスマじゃない人たちは、文脈をつくっていかなければいけないんです。本当に知ってほしければ、理解してほしければ、ちゃんと見せて、説明しなければいけないんです。絵描きとしてこんなこと言うのは勇気がいりますが、もはや技術を磨くことは結果につながりにくいし、これからどんどんそうなっていくと思います。美しいものや、完璧に近いものを目指すことは、いよいよ自己満足の域から出られなくなってしまいました。それよりも受け手側の感情をダイレクトに揺さぶる何かのほうが重要で、そのひとつが文脈だと考えます。結果よりも理由の方が、人の心を動かしやすいのです。

文脈をつくり、中身を見せ、過程を共有していくことで、最終的には受け手すらも「当事者」にしてしまうことができれば、大成功だと思います。

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理屈をこねてないでそう言うお前はどうなんだ、と言われそうなので、僭越ながら実体験を書きます。

昨年の11月に『デザインフェスタvol.48』に出展した際、大盛況だったもののこちらの対応が追いつかず、一部の方々に不快な思いをさせてしまう結果となりました。その対応として、twitterなどでひとこと謝るだけでも良かったのですが、なぜああいうことになったのか、こっちが何を考えていたのかを知ってもらいたくて、noteに運営側の事情をつらつらと書き、イベント後に実施したアンケート結果も公開しました。狙いとしては、ただその場限りの感想だけですべてを判断してほしくなかったのと、あなたもイベントをつくることに加担しているんですよ、ということを伝えたかったからです。要するに「こっちの言い分も聞いてくれ!」ということです。内容は当日起きた問題に関する弁解がメインになってしまい、結果的には長い謝罪文のようになってしまったのですが……

そういった行動を起こすのは初めてだったので、けっこう怖かったです。知人には「わざわざそんなことするの?」と言われたりもしました。確かに余計なことをしたなと後悔する可能性もありましたが、私の気が収まらなかったので、半ば勢いで公開しました。自分を鼓舞するために、えーい! これで嫌われるなら本望じゃーい! と本当に口に出しながら公開ボタンを押しました。すると、全部で3つもある長い記事だったのですが、みんな最後までちゃんと読んでくれたのです。そしてわざわざ感想をリプライで送ってくれました。ますます好きになりました、とか、これからも応援します、とか、モヤモヤが晴れました、とか、そんな内容ばっかりでした。ぜんぜん嫌われませんでした。長々言い訳を書いていて鬱陶しい、くらいは言われるかなと思っていたんですけど、ぜんぜんそんなこと言われませんでした。

私は受け手を信用してなかったんですね。何をするにしても「どうせ嫌われるだろう」という防御線をつねに張っていました。でも、ちゃんとこっちが頑張って説明したら、ちゃんと応えてくれるんだということがわかりました。考えてみればシンプルなことです。単に情報が足りなかっただけで、「ああ、そういう事情があったから、ああいうことになったのね。なるほど」となっただけです。こちら側が知られることを一方的に怖がっていただけでした。

先ほど文脈のことを、第三者を納得させ共感を呼び起こす作用のある“理由”や“過程”だと書きましたが、私が書いた記事がそれとして機能したということです。そして読んでくれた人たちは、イベントに関する文脈だけでなく、私という人間の文脈すらもそこから読み取ってくれました。

本当にやってよかったと思いました。ちゃんと伝わるんだということ、みんなも一緒に考えてくれるということがわかったのです。これは大きな希望です。どんなに圧倒的な技術を持ってしても代替できない発見です。もしかしたらみんなはずっと「当事者」になりたがっていたのかもしれません。上から落ちてくるものをただ拾うだけの消費には、とっくに飽きているはずです。すすんで受け手と目線を同じにしていくことが必要なのだと、私はこの体験を通して強く感じました。

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以上が文脈をつくることの大切さを実感した私の体験でした。

文脈をつくる方法は、それが何の文脈であるかによって、色々あると思います。例えば言葉にしなくても、モノで残しておくとか。

それに関連して、個人的に文脈を感じて好きになった体験を書かせてください。私はとある漫画家さんファンなのですが、その人は動物キャラが主人公のかわいらしい漫画を描かれていて、SNSを中心に人気を博していました。正直最初にその漫画を見たときは、かわいいな、癒されるな、くらいの感想でした。でもあるとき、その漫画家さんが過去に描いた漫画を読んでみたら、それは癒し系どうぶつ漫画とは真逆の、心がぐっと苦しくなるような、人間の残酷な一面を描いた内容のものでした。それを読んで私は驚き、そしてその漫画家さんのことが、もうめちゃくちゃ好きになってしまいました。かつて人間のドロドロした内面にスポットを当てていた人が、今となっては癒し系どうぶつ漫画を描いていてしかも売れている、文脈が、すごく心に刺さったのです。モノで文脈をつくっていくというのは、作家として理想的ですね。かっこいい。私もちゃんとそうしてモノを残していこうと思います。

そしてもうひとつ、これは作る側からのお願いなのですが、受け手側もできれば文脈を読み取る努力をしてほしいのです。ひとつの結果だけを見て判断をするのは、ちょっと安易すぎるのではと思うのです。虫の目と鳥の目を行き来しながら、もっと大きな流れを捉えるように、ものの良し悪しを判断するという習慣がつくと、きっと新しい世界が広がっていきます。どうか目の前にあるものだけに囚われないでください。これは私のわがままです。

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自分が絵描きだからか、作家活動における文脈に関する言及に留まってしまった感じがしますが、文脈の大切さはあらゆることに通じると思います。泥くささとか、失敗談とか、人間味って大切じゃないですか。

長々書きすぎて着地点を見失いつつあるので無理やりまとめます。

文脈だいじ。共感だいじ。説明だいじ。そして知ろうとする努力だいじ。


最後までお読みいただきありがとうございました。



<以下余談>

私はイラストレーターですが絵が下手です。描くことは好きですが本当に落書きレベルでした。昔からずっと描いてきたわけじゃないし、専門的な美術の教育も受けていないし、デッサンもろくにやって来ませんでした。それでもLINEスタンプというツールのおかげでこっそり世に出ることができ、イラストレーターとしてお金を貰えるようになりました。今さら慌てて練習しているところです……。申し訳なさや、身分不相応な状況に不安を抱えないかと言えば嘘になります。私よりずっと時間をかけて丁寧に絵を描いている人に「楽できていいなあ」と言われたこともありました。本当にごめんと思いました。しかしこの体験は、技術が魅力に直結しないという仮説を十分に裏付けてしまうのです。

LINEスタンプ発祥のキャラクターたちは、まさに「共感の塊」です。LINEスタンプは、それを使うことでユーザーが自分の文脈をつくれるツールだと思います。自分のアバターみたいなものですから、少なからず「自分っぽい」ものを選んでいるはずだし、それを使うことで一種の自己実現すら達成されているかもしれません。「あの人、◯◯のスタンプよく使うよね〜」で、もはやその人となりを語れるレベルです。キャラクターと自分が等号で結ばれるのです。そこまでいくと、絵の上手い下手なんて、多くのユーザーはまったく気にしてないんです。そこまで日本人の生活に浸透しているLINEスタンプはすごい。

まとめると、共感を集めるツールから出てきた私みたいなやつは、やはり一生共感をつくり続けなければいけないし、そのためには自分の文脈もちゃんとつくってちゃんと見せていかないとダメだよ、それをサボっちゃいけないよ、ということを、より実感できた、ということでございます。お粗末さまでした。