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懇談会~一般級と支援級で感じた違い。「人は、1人1人違うということ」~

先日、カイの学年最後の授業参観と懇談会があった。
私は小学校の授業参観は子供3人全員、ほぼ100%の出席率だが懇談会の出席率はほぼ0%に近い。しかし、カイが支援級に転籍してからは懇談会は必ず出席するようにしている。
支援級の懇談会は一般級よりも何倍も内容が濃く、先生との距離が近くて楽しいからだ。

懇談会は一般級が先に行われ、次に支援級という順番だ。
なので、仕方なく一般級の懇談会にも出席した。
同じ流れで支援級の懇談会に参加するママもいたので、一緒に行動しようと思ったからだ。私は方向音痴のため1人で一般級から支援級へ移動する自信が無かった。

一般級の懇談会が予定より早めに終わり、先生から「予定より早めに終わりましたので保護者の方、最後に一言ずつお願いします。」とお願いされた。

正直に言います。私、この時間大嫌いです。
元々この時間が嫌いなのに、カイは普段ほとんど一般級に来ないので、一般級での様子など分かるはずがなく、あえてここで紹介するエピソードなどない。
そして、「手短に」と先生からお願いされているにも関わらず、学年最後の懇談会であるにも関わらず、保護者はけっこう長めに我が子の話をする。
今更感満載なのに、我が子のエピソードを延々と話し、最後には「よろしくお願いいたします。」と言う。
「いやいやいや、これでこのクラス最後だから!これでさよならだから!よろしくじゃないから!」と私の中の悪魔が心の中で盛大にツッコミを入れる。

ところで、一般級の懇談会に出席し「いやいや、嘘でしょ~!!!」と感じたことがあった。
複数の保護者が「うちの子は学校が大好き、友達が大好き」「勉強は嫌いでも友達に会うために学校に来ている。」「給食が大好きで給食のために来ている」「中休みに外で遊ぶ事が大好き」等の発言をしたのだ。
それに対し、異様なほどの違和感を感じた。

繰り返します。「異様なほどの違和感、同調圧力」をとても感じました。
「子供は学校が好きであるべき、友達が好きで、外で遊んで、モリモリ給食を食べるべき」
これは親が考える理想とする子供の姿なのではないか。それをクラスの2/3位の保護者が一様に話している。空恐ろしくなった。
「あなた方の子供は『理想の子供』という名のロボットなのか??」と言いたくなるくらい、どの保護者も同じ価値観で子供を見ている、と感じた。
気持ち悪くなった。

ここで感じた違和感がカイも感じる違和感、落ち着かない原因なのかな??とふと感じた。カイの気持ちがよく分かった瞬間だった。

支援級の子は外的要因の影響を受けやすいので、「学校が楽しくて仕方ない、毎日元気いっぱいで登校するぜ!!!」という子はあまりいない。
実際、連休明けや悪天候の日は、支援級は出席率が低いようだ。

カイが支援級に転籍してから1年の間に私は「人は1人、1人、みんな違う。同じ人は1人としていない」という価値観が身についてきていた。
大きな音や声が苦手な子、感覚過敏で日常至る所に不便や不具合を感じる子、不安を強く感じる子、その他様々な原因に不調を感じる子がいる。
その子の特性をよく考え、どのようにしたら皆と一緒に同じ活動ができるか?を常に保護者同士で考え、アイディアを出し、先生に提案し、先生とも一緒に考えてきたので「1人1人、全く違う」という思考がデフォルトになってきたようだった。

これは、ある意味喜ぶべき瞬間でもあった。
昔の「こうあるべき」思考から自分が解き放たれたことが分かったからだ。

一連の話を支援級の先生に話し、「何となく、一般級での居心地の悪さや落ち着かないといったカイの気持ちが分かった」と先生に伝えると、先生は「カイさんは、こうやってお母さんに気持ちを分かってもらえて幸せだと思いますよ」と言ってくださった。
自分の気持ちを正直に伝えただけなのに先生に褒めてもらえて素直に嬉しかった。「子供は、かくあるべし」思考の母から卒業できたと思えた。

懇談会から帰宅後、高校生の娘に小3の時に学校は楽しくて仕方ないところだったか?毎日登校するのが楽しみだったか?と聞いてみた。
当時の彼女は、比較的学校が楽しそうに見えたが、そうではないとこが分かった。やはり、そうだよね。

一般級の保護者は本当の我が子の事が見えていないだけなのかもしれない。自分が見たいように見ているだけなのかもしれないなぁと感じた。
きっと、私もそうだったのだろうな。
でも、そんな自分は卒業したぞ!

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