名前のない花

好きな人ができた。

長らく、本当に長らく、私は自分をノンセクだと思って生きてきた。年齢は伏せる。まぁ、いい年だ。人に触るのが苦手だし、触られるのも嫌いだ。過去に嫌な目に合ったことがトラウマになっているのも、おそらくある。(トラウマなんてなくてもノンセクの人ももちろん居るとは思う)
知ったきっかけから、好きだと思った経緯とかはまるっと省こう。
そこは別に、今日このnoteを開いたことと関係がない。

彼の考え方や、生き方、色んな内面的な部分を知るほど、好きだなぁと思う。

変な言い方だが、触るのも触られるのも苦手な私が唯一自分から触りたいと思える人だ。
正直私にとって、そう思える人がそもそもその人1人なので、きっとこれは恋なのだろうと思っている。

好きな人ができた。それは喜ばしい事なのだろう。
けれどそれは、色んな人が知っている人だ。
絶対に私とは縁のない人だ。

そう、所謂「芸能人」だ。

私は所謂ガチ恋、リアコ、そう言われる「モンスター」だ。
ネタにされ、創作物として消費されることでようやく成り立つような非実在人格だ。書いていてつらい。

今日も今日とて、好きだなぁと思うことがあった。
その度に嫌になる。
なんでこの人なんだろう。どうしてこの人なんだろう。
勿論理由は沢山ある。
好きなところなんて上げてるときりがない。
それでも、同時に嫌で嫌で堪らなくなる。

喜んでいるところを見ると、私は喜ばせることができないなと思う。

悲しんでいるところを見ると、私は傍に居ないんだなと思う。

私の喜怒哀楽は彼のものだが、彼の喜怒哀楽に私は一切の関与ができない。
あまりにも世界が遠い。
勿論、地球の人口や日本の人口、芸能人の人数を言えば出逢えたこと自体が奇跡だ。
でもその奇跡に、欲が出てしまうのが恋だ。
関与したい。隣で笑いたいし、隣で悲しみたい。
同じ部屋で違う漫画を読んで、お昼時にはそろそろご飯を作ろういや出前にしちゃおうなんて話しながら結局2時くらいまでだらだらしたい。

一緒の時間を過ごしたい。
そんなのは無理だ。

そもそも、遠くの人に所謂クソデカ感情を抱くこと自体が言ってしまえば迷惑な話だ。
外野でとやかく言う人がたまにいるが、そんな事は自分自身が一番よく分かっている。

だからこそ、つらい。
好きだな、と思うたびに上がりたいという感情が湧く。
この感情は、遠くの人に抱くにはよくないものだ。
分かっている。好きになればなるほど、感情と行き場のなさにつらい。
今も泣きながらnoteを書いているが、完全に感情を処理する場所がないだけの掃き溜めのようなnoteだ。

勿論推していて楽しい瞬間は沢山ある。
同担とここ好き〜と言い合ってるのはめちゃくちゃ楽しいし、見た後は最高!ってシャブが決まりまくる。

ただ、ふとしたときに「こういう所が好きだな」って思ってしまうとダメだ。
同時に「これ以上は抱いて良い感情ではない」という気持ちが処理しきれずに、「上がりたい」と考えててしまう。
上がらなくても良いから、普通のファンになりたい。
普通のファンであれば、好きなだけで楽しいのだろう。
楽しいという感情だけで応援してくれるファンは嬉しいだろう。
そう思うたびに、普通になりたくて堪らない。

好きでガチ恋や、リアコをしてるわけではない。
勘違いをしてるわけでもない。
名前のない花は、咲くことがないのを分かっている。
早くこの花が枯れてしまうまで、じっと息を殺して眺めるしかないのだ。

早くあがりてえ。
上がらなくて良いから、普通のファンになりたい。



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