見出し画像

「生きている間は福島に住み続けて廃炉を進めていく」 ――福島原発5号機ツアーを続ける経産省職員の決意と覚悟

福島第一原発内にある巨大なタンクの数々。その数は1000基を超える。タンクの中身は処理水。浄化処理された汚染水が処理水である。政府は2021年4月に、この処理水の海洋放出を決定している。処理水の放出予定時期は今夏だ。

今回お話を伺ったのは、経産省職員の木野正登さん(54)。彼は2011年3月20日に東京から福島へ 異動となり、今日まで、処理水を含む福島第一原発の廃炉を担当している。廃炉への理解を深めるために、3年前から開始した福島第一原発5号機ツアーは、2か月先まで予約が取れないほど人気だ。

私は今年の3月にツアーへ参加した。そこで、淡々と(けれどユーモアと熱い想いを隠し持っている)語る木野さんと出会った。
原発事故発生から12年。彼は、毎日のように、住民や漁業関係者、東京電力社員といった多くの人と廃炉について話している。ときには罵声も浴びる。心苦しい思いもたくさん経験してきたのだろう。それでも「人生で一番やりたいことは廃炉を進めていくこと。」と語る木野さんの、決意と覚悟を聞いた。

タンクの高さはおよそ15メートル。1基で1,000トンの水を貯めることができる。

私 は 福 島 に 行 き た か っ た

「ものすごく⻑いのですが、経済産業省、資源エネルギー庁。えー、事故収束対応室の廃炉汚染⽔処理⽔対策官という役職です。」

廃炉に関わっている人は東京に30人、福島に10人ほどいるが、この役職は、木野さんの他に1人しかいない。   
2人体制にも関わらず、仕事の内容は多岐に渡る。

「東京電力と、廃炉をどのように進めていくか、燃料デブリの調査の進め方について話したり。処理水への理解を深めるため、自治体や漁業者、住民への説明も行います。他にも、廃炉の計画を立てて、現場を見て、工事が予定通り進んでいるのか確認したり。本当に様々な仕事をしていますね。原発ツアーは、業務の一つでしかないんですよ。」

福島への出向が決まったのは3月19日。東日本大震災が発生してから8日後だった。 

「上司から、『明日から福島に行ってくれ。』と言われて、翌日の20日に福島へ行きました。当時は、経産省の原子力に関わる人はほとんど駆り出されていたので、私にも当然、声がかかると思っていました。経産省の8割くらいの人が事故対応をしていましたね。『石油が足りない。どうするんだ、持っていけ!』から始まり、『物資を送れ!』といった指示がひっきりなしに飛び交っていました。」

―当時の気持ちは?
「私は、どうしても福島に行きたかった。もちろん、何をするのかという不安も多少はありましたが、実際に行くことが決まり、喜んだというと変ですが、身の引き締まる思いでした。」

那須塩原駅まで新幹線で行き、バスを2回乗り継いで福島市に入った。まず目に入ったのは、ガソリンスタンドに並ぶ車の長蛇の列。お店に入っても食べ物はほとんどなく、バス乗り場は避難する人たちで溢れて大混乱だった。

「第一原発から80kmも離れている福島市でもこんな状況で。改めて大変な状況だと実感しました。」

県庁内に事故対策本部が設置され、その日からマスコミへ説明する日々が始まった。実際に第一原発を見学できたのは、福島に入ってから4ヶ月後の7月だった。

「お前らは東京さ帰ってぐ」

―初めて原発事故の現場を見た時、どのようなことを考えたのか。
「早く第一原発を自らの目で見たかったんです。現場の状況は聞いているだけだったので、目で見ないとわからないですから。(実際に、原子力発電所を見て)衝撃でしたね。私は、新潟県の柏崎刈羽原発の保安検査官事務所所長を2年間務めたのですが、爆発を想像したことは一度もありませんでした。頑丈な発電所があそこまでボロボロになるなんて。」

福島第一原発1~4号機の前で説明を受ける参加者たち。原発の後ろには穏やかな海が広がっていた。

学生時代に原子力工学を学び、経産省に入って、原発の所長まで務めた彼にとって、原子力は人生をかけて取り組んだテーマだ。目の前の原子力発電所がボロボロになっている姿を見たことで、残りの人生をかけてやることが決まった。
「私も責任の一端を担っていると思いました。私が死んでも廃炉は終わりませんが、生きている間は福島県に住み続けて、廃炉を進めることが、今後の全人生を賭けてやりたいことです。」

彼の決断に影響を与えた印象的なエピソードがもう一つある。
「避難解除された地区の住民に戻れることを伝える説明会がありました。ある人に『おまえら政府の人間は、説明終えだら東京さ帰ってぐ、わだしらは一生ここだ、家族連れてこっちさ住んでみろ』と言われて、そうだよなって納得しちゃって。やりたい仕事は福島にあるし、私1人くらいは残ろうかなと思ったんです。」

こうして彼は福島に住み続けることを決めた。それは経産省での出世はできなくなることを意味する。東京・霞が関へ戻ることが省庁の出世コースだからだ。けれど彼は、出世よりも人生をかけてやりたい仕事をすることを選んだ。この覚悟が後に、経産省内でも前代未聞の福島第一原発5号機ツアーを生む。東京へ戻っていくのが当たり前の環境で、通常業務に加えて、自主的にツアーを実施しようという人は、彼の他にはいなかった。

「私のインタビューが掲載された2014年の新聞を見ると、『廃炉が終わるまで福島にいます。』と書かれていたので、その頃には決めていたようです。証拠として残ってしまいましたね。」

12年かけて学んだ伝え方

これまで開催した説明会の数はゆうに100回を超える。住民からの厳しい声もあり、「次第に感情が麻痺していった」と冗談交じりに語る木野さんが、何よりも難しいと感じているのは、分かりやすく伝えることだ。

「専門的な知識があれば、自分で判断できますが、それを住民に求めてはいけない。伝えると伝わるは全然違います。相手の理解度に合わせて、例え話を用いながら、分かりやすく説明することは、12年間でだいぶ訓練されましたね。」

―どのような例え話をするのか。
「放射性物質と放射線の違いの話をする際に、線量の高いエリアへ連れていき、そこで『マスクはいりません』と伝えるとびっくりされます。線量が高いのにマスクをつけなくて大丈夫なのかと言われる。そこでよく使うのが、懐中電灯。懐中電灯は放射性物質で、光は放射線。皆さんがいる場所には放射線はあるが、放射線物質はない。懐中電灯以外で例えると、太陽を使う。太陽は遠いところにあるが、光は地球に届きますよね。マスクをつけなくていいのは、物質は遥か彼方にあるため、吸い込む心配がないからです。放射線はマスクでは防げません。」

「他にも、トリチウムとセシウムの放射線の数(=ベクレル)と強さ(=シーベルト)の違いはボールを使います。トリチウムが出す放射線はピンポン球で、セシウムは野球の硬球ボール。ボールが3つあるから3ベクレル。一秒間に放射される放射線の数がベクレルです。その後、ピンポン球と硬球ボールを体に当ててみます。ピンポン球は痛くない、硬球ボールは痛い。この痛みがシーベルトだよと教えます。」

初めはなかなか伝わらない中で、試行錯誤を繰り返した。どんなに頑張っても、伝わらなければ意味がないと考える彼が、伝える上で最も意識していること。それは、何をしたのかだけでなく、どういう意味を持つのか、何のために行うかを必ず伝えるということ。

「例えば、廃炉の説明する時に、『使用済み核燃料プールから、使用済み核燃料の取り出しが完了しました』と伝えても、取り出したのは分かるが、そもそも何のために行っている作業なのか伝わらないですよね。『万が一、また大きな地震が起きて、建物が壊れて、使用済み核燃料プールがむき出しになったら大変なことになるため、燃料を取り出す』ということを説明しないと。何をしたのかという説明だけでは、相手には伝わらないということを経験から学びました。伝えるということは努力がいりますね。」

世界で唯一の福島原発5号機ツアー

どうしたら相手に理解してもらえるのか。考えた先に出した答えが原発ツアーだった。

「始めたのは2020年の1月でした。当時は、処理水の議論があったり、たまに廃炉が話題になったりしていました。けれど、ほとんどの人は理解できていないと感じていました。どうしたら少しでも理解してもらえるのか、ずっと考えていました。私たち経産省職員は、福島原発内に人を連れていく権利を与えられています。やっぱり現場へ連れていき、見てもらうのが一番理解できるよなと思ったんです。」

―権利が与えられている。
「福島第一原発に勤務している経験が1年以上あり、東京電力の研修を受けることで、現場に人を連れていくことができます。私にはその権利があるのだからやるべきだと考えました。この資格は普通、社員やVIPのお客様をエスコートするために取るものなので、一般人を案内する目的で取ったのは私しかいませんね。」

ツアーでは5号機内部の使用済み燃料プールを見学したり、防護服を着て原子炉の真下まで行くことができる。5号機は、立ち入ることができない2、3、4号機と同じ構造であるため、どの場所でどのような事故が起きたのか、自分の目で見ることでよく理解できる。

5号機内部にある核燃料プール。プールを覗くと使用済み核燃料棒を確認できる。


ツアー開始から3年が経ち、これまで2000人以上が参加した。参加した人の口コミだけで広まり、現在は2ヶ月先まで予約が取れない状況だ。

―省内で反対はなかったのか。
「経産省内でも悪い反応はなかったですよ。むしろ、色んな人を原発に連れていき、理解してもらうための活動なので、大事だよねと言ってもらえました。」

とはいっても、経産省では他に同じような事例もないため、評価はどうなっているのだろうか。

「半年に一回、業務の目標を立てて成果を報告します。予算100億円を取りましたという成果は分かりやすいけれど、私の場合は理解者が1000人増えましたと言っても分かりにくい。評価しづらいよなと思いつつも、成果として書くしかないですよね。どのように評価しているのか気になりますね。でもこの活動を評価しないことはできないので、SからEの評価のうち、B以下ではないでしょう。給与にも反映されているはずですよ、きっと。」

ツアーを行う目的

―ツアーを開催してみて。
「以前、ウーマンラッシュアワーの村本さんをお連れしました。テレビだと過激な発言が多いけれど、とても真面目で、ちゃんと話を聞いてくれました。処理水についても、一生懸命に話したらよくわかってくれて。『それなら僕飲んでも良いですよ』と。飲むとお腹を壊すのでやめておきましょうと会話をしましたね。有名な水泳選手も来てくれて、真剣に学び、よく理解してくれました。芸能人だけでなくて、一般の方もたくさんお連れしました。処理水のことを汚染水だと思っていたり、処理水といっても危険なものだと思っている人もいます。漁業者の方で、処理水の海洋放出には反対だと言っていたけれど、考え方が変わったと言ってくれることもありました。現場にお連れして、説明すると理解はぐっと深まります。開催し続けて良かったと思いますね。」

実際にツアーへ参加して、特に印象的だったことは、参加者からの質問が止まらないことだ。防護服を着て、いくつもの検査をして、多くの警備員と接するため、初めは参加者の緊張が伝わり、空気も重かった。
けれど、木野さんの丁寧な説明を聞いていくうちに、参加者一人ひとりの興味がどんどんと湧き上がっていく。ツアーの中盤から終わりにかけては、途切れることなく質問が投げられていた。

「事実を知ることが大事だと思っています。そしてこのツアーは、事実を知っていただくために行っています。廃炉ってどんなことをしているのか、処理水はどのようなものか、どうして事故が起きてしまったのかを知ること。決して、原発の賛否を問うものではありません。賛成と思ってほしいとは考えていないし、むしろフラットに、仕組みや課題について知り、自分の目で見て、自ら判断してもらう。百聞は一見にしかずじゃないですけどね。」

ツアーに参加した日は日曜日だったにも関わらず、多くの警備員が働いていた。


―より多くの人に関心をもってもらうには?
「関心がない人はどうやって伝えても、ここには来ないですからね。無理に引っ張ってきて説明しても聞いてもらえないと思います。もちろん、日本国民全員が理解した上で廃炉を進められたら良いですが、物理的に全員が福島第一原発を見学することは不可能です。なので、来てくれる人たちに、正しい情報を持ち帰ってもらうことですね。その人たちに届けるだけでも時間は足りません。友達が行ったから自分も行ってみよう、そうやって関心が広がれば嬉しいですね。」

行政の役割は決めること

私はこんなにも住民と対話をしている行政関係者を他に知らない。国は住民の声をあまり聞かずに、自分たちで決めている印象があるとぶつけてみたところ、木野さんの本音が見えた。

「行政の役割は決めることです。その過程で、どれだけ多くの関係者と議論をしたかというプロセスが、何よりも大事です。国は審議会をたくさんやるけれど、住民の声を聞くことはほとんどない。役所の限界なんです。私たちが進めている原発の処理水に関しては、過去に例がないくらいに多くの人の意見を聞いて進めています。もちろん、全員の意見を聞くことはできません。叶えられないという葛藤はあります。それでも廃炉を前に進めるためには、処理水をどうするか決めなくてはいけない。」

私が福島にいる意味

福島に住み続けて12年。地元の人の声を聞くことが、自身が福島にいる意味だと木野さんは語る。どこに不安があるのかを知り、その不安を解消することをひたすら続けている。 

「自分の持っている知識を一般の方に伝えて、理解できたと言ってもらえることが私のモチベーションです。思えば、経産省で働く中で、自分にとってどのようなことが嬉しいのか、すでに気付いていたような気がします。柏崎刈羽原発にいた2年間で、所長として住民に接する機会もありました。勉強会を開催すると、関心のある人たちが集まるので、教えると相手に響いているのが分かるんです。説明する以上は、相手に伝わってほしいわけで。だからこそ、わかりやすく工夫して伝えることを続けてきました。相手がいて、理解してくれるから、伝えることが楽しくなります。伝わらなければ、楽しいとは思わないですよね。

参加者に説明する木野さん。どのような質問にも丁寧に答えてくれる。

人生をかけて廃炉を進めることは、処理水の海洋放出を行うことでもある。風評被害の影響を受ける漁業関係者や住民のほか、「海は日本の下水道ではない」と、中国政府も反対の姿勢を崩さない。木野さん自身は、海洋放出についてどのように考えているのか。

「廃炉を進めるためには、処理水の海洋放出は絶対に必要です。もう保管しておくスペースがないんです。今後、もっともっと作らないといけない施設もたくさんあるんですよ。処理水を海に流さなければ、スペースを確保できない。これは明らかなことです。私の知識や経験から考えても、人にも影響がないからこそ処理水を海に流すべきだし、廃炉を進める上で絶対に避けては通れない道です。ただ、時間も限られていて、反対もある中で進めていくことは、福島に住んでいて辛いことでね。」

処理水を手に取って確認する筆者。東京電力は、処理水を使ってヒラメを飼育し、安全性を実証する調査も行なっている。

「何かを決めること」には必ず痛みが伴う。決断による影響範囲が大きいほどに、痛みも大きくなる。その痛みから逃れるには、決断する立場にならなければいい。逃れることは案外、簡単であるし、必ずしも悪いことでもないと思う。

しかしながら、「廃炉」は必ず誰かが向き合わないといけない問題だ。廃炉作業には事故発生から30~40年かかり、原発の使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物が安全になるまでは、10万年の時間を要すると言われている。

その廃炉を「今後の人生を賭けてやりたいこと」と言い、向き合い続けている木野正登さん。廃炉を進めているのは「国」ではなく、「人」なのだ。

今日も彼はツアーを開催し、参加者と対話をして事実を伝えている。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?