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シーズン2をはじめよう。

どうも、こんにちは。
自分かも知れません。
要するに自分ですよってことです。

シーズン2とは?

この間まで毎日noteに挑戦していました。
目標の30回到達したのでいったんお終いにしたのですが。
その翌日には記事を書かなかったという正直っぷりで。
でもまたいざ、何か記事を書こうかな、と思ったらあの時みたいな雑談もしたくなってしまって。
じゃあ第2期としてほぼ毎日noteでも改めて始めようかなあ、と。
それがこれになります。
と、言う訳で。
なんだか同じようなテンションでまたぼちぼち書いていきます。
お付き合いいただけたなら幸いです。
ちょううれしい、っていう意味ですよ。

注目されたいなあって純粋な願望。

されないので、自分ってつまらない人間なのだなあ、としょんぼりするような毎日ではあります。しょんぼり。
5人くらいに特別に思ってもらいたいなあ。
もっと欲を言えば10人くらいでしょうか。
その上で50,100人とかに創作物を注目されたい。
でもなあ。フォロワー数もないし、いいねもひとけた。もらえないこともある。
どうにも望むような人間にはなれないみたいです。
きっと凡庸でどこにでもいるような、注目に値しないような人間だ、ってことなんでしょう。事実として。
もちろん、いただくいいねはどれも有り難いものです。ほめていただけることもあります。
こういうことを書くと、そんな方たちを軽んじるようにとられてしまうことがあるので非常にセンシティブな話になりがちなのですが。
つまりは、うんと、なんといえばいいのでしょう。
いまいただけている評価は大変ありがたいものと認識しつつ。感謝しつつ。
その上で、さらにもっとをほしがっているということです。
あとは恒常性とかをね。
何を書いてもいつでも一定のリアクションをもらえたら、それはもううれしいことでしょう。
想像でしかないのがちょっとアレな部分なのですけれども。
親しい友人もいます。きっと唯一に思ってくれていることだと、このあたりはちょっとむずかしいことなんですけれども自惚れてみたいことでもあります。
でも、それはそれとして。
もうちょっと、ちやほやされたい、なー。なんて。
ぜいたくなことも思うのですよ。

しにたいと思うこと。

なんで急に話題がこうなったかというと、そういえば友人のひとりにめずらしい子がいることを思い出したのでちょっと書いてみる。
しにたい、というと大体が、というかみんなが『それは悲しい』と伝えてくれるのですが、ひとりだけ、『それはそういうものだと思うことにする』といった子がいたのです。
自分のことを自分としてそのまま受け入れるという意味だそうです。
もし仮に自殺をしたとしても、その決定まで含めて『その人だった』と受け入れる、だからそこの意思に介入しない、ということだそうで。
こんなことを言っては失礼なのですが、いろいろ難のある友人ではあるのですがその部分においては他の誰よりもすごいと思いました。
まず止めないってのがね、なかなかすることじゃないよね。
いいなあ、と思ったのでした。

では、またそのうちに。

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