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とある魂ラジリスナーの回顧録

「えーーっ、魂ラジ、復活?!」
 何気なくパトロールしていたツイッターのタイムラインに懐かしい文字が見え、思わず声を上げた。言葉にしてこの単語を発したのはいつぶりだろうか。

 福山雅治のオールナイトニッポン サタデースペシャル・魂のラジオ……通称「魂ラジ(たまらじ)」は、毎週土曜日の23時半〜25時まで(仕事の兼ね合いでたまに収録になることもあるが)基本的には生放送でお届けされる。
 一旦は放送終了となり、最終回も泣きながら聴いた記憶があるのだが、それが2015年3月末……約8年前のことだったらしい。

 今回、オールナイトニッポン55周年のスペシャル企画として55時間ラジオという取り組みが行われ、その大トリを務めるのが8年ぶりの復活を遂げた「魂ラジ」だった。

 ……いや、8年て。長すぎるよ。
 イエス・キリストは3日で復活するんよ。

 魂ラジのヘビーリスナーだった当時、私はまだ高校生だった。
 些細なきっかけから恋に落ち、福山雅治という人物をもっと知りたくなった私は、自然とこの魂ラジに流れ着いた。
 祖母がくれた文字通り壊れかけのRadio。ラジオの向こうから福山雅治は優しく語りかける。彼が紡ぐ言葉たちに、音楽に、私はすっかり虜になっていった。

 魂ラジの楽しみ方のひとつに、ツイッターでの実況というものがある。
 今でこそ、ドラマやアニメの実況なんて当たり前に流れてくるけれど、当時はそれほど日本国内でツイッターが普及していたわけでもなく、そもそも日本語のハッシュタグもまだない時代だったので、ガラケーでポチポチと打ち込んで「 #tamaradi 」を付けて投稿していた。
 いつしか福山雅治側もそのことを認知し始め、ハッシュタグを勝手に作ってトレンドに入れようと呼びかけたりするようになった。これも生放送が成せる技だ。

 毎週土曜の23時半にツイッターを開いてラジオの周波数を合わせる。いつしかそれが私のルーティンになっていた。
 ツイッターを開けば、顔見知りのアイコンが並んで実況をしている。ラジオから流れる話題に笑ったり泣いたり。実況と並行してラジオにメールを送り続け、たまにそれを拾ってもらい福山雅治に「てんちゃん」と呼びかけられる。途端に阿鼻叫喚のタイムライン。

 高校〜大学生という人生でいちばん多感な時期。
 布団をかぶって泣きながらラジオをつけたこともあるし、好きな人のことを思い浮かべながらリクエストを送ったこともある。悩みごとを赤裸々にメールに書き殴って送信したこともしばしば。
 そして「ばいバイク!」の言葉とともにラジオが終わった後も、しばらくツイッターに残ってワイワイ騒いだり、時には悩み事を打ち明けたりして、リスナーたちとの時間は続く。

 ひとりだけど、ひとりぼっちじゃない。
 そのことが当時の私にとって、どれほどの支えになっただろうか。
 同じ時間を共有していて、リアルタイムで送ったメールを拾われ、福山雅治と会話ができ、また、ツイッターでは大勢の仲間たちが行きつけの居酒屋のようにワイワイやっている。
 孤独に陥りがちな思春期の少女にとって、その環境はとても温かく居心地がよかった。

 大袈裟に聞こえるかもしれないが、魂ラジは私の青春そのものだったのだ。


 魂ラジ復活の夜、当時のタイムラインそのままとは言わないが、結構な数の元リスナーが集った。懐かしい顔ぶれ。
 当時はまだ高校生だった私も、成人し、社会人にもなった。布団の中からひとりぼっちで聴いていた魂ラジを、同棲している恋人と一緒に聴く。
 ガラケーではなくiPhoneで打ち込むハッシュタグは「 #tamaradi 」から「 #魂のラジオ 」に変わり、ラジカセではなくRadikoのエリアフリー放送で。
 時の流れを感じながらも、ラジオから聞こえてくる声は昔と何ひとつ変わらなかった。

 ジングルひとつひとつが懐かしくて、その度にちょっと目が潤む……と思えば、くっだらない下ネタで盛り上がむていて、ああ、こういう番組だったなぁと泣きながら笑ってしまった。
 そしてどんどんと更新されていくツイッターのタイムライン。最後の「ばいバイク!」の瞬間まであっという間の2時間だった。


 仕事や日々のあれこれに忙殺される毎日の中で、これほど夢中になれたのは久しぶりだった。
 次の日の寝不足なんて考えずに、ラジオで盛り上がったそのままの勢いで2時、3時までツイッターで騒いでいたあの頃。
 中身はあの頃のまま、実は何も変わっていないのだと、当時に立ち戻る瞬間をもらえたような気さえした。

 いつかまた、やってくれるといいな。
 そして私はあの青春を胸に、これからも心の中で魂ラジを大切に大切に抱きしめながら生きていく。

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