信じられる人が1人でもいれば…

私は所謂、毒親に育てられた。

物を投げつけられたり、言葉の暴力は日常茶飯事だった。

我が家が普通ではないと思いはじめたのは小学校高学年頃だった。

我が家の常識が社会で通用しない。交友関係が長続きしない。私は徐々に集団生活に息苦しさを感じ、母親が引っ張ってでも登校させていたため、不登校にはならなかったが、学校生活に馴染むことができなくなった。

結局、私は発達障害(グレーゾーン)、精神障害、知的障害(発達検査によるIQによる判定)、そして二十歳を過ぎてから病気により身体障害も併せ持ち、車椅子生活を送っている。

私の中には、私を守るために様々な人格が存在している。私が自殺を図ろうとする度、彼らはそれを阻止した。

所謂、多重人格なのだろうが、確定診断は受けていない。一時期診断を受けようとしたが、相談した医師や両親からは、まるで相手にしてもらえず、確定診断を受けたところで何が変わるのかと考えた末、診断を受けないことに決め、現在に至る。

私には、良き理解者がいる。
それは高校時代の恩師である。
元々、別人格の存在をカミングアウトするつもりは毛頭なかったのだが、偶然が重なりカミングアウトすることとなった。

恩師は私や別人格の存在を丸ごと受け止めてくれている。

それぞれの特性や性格を把握し、人格にも人間的な成長を促してくれる。

診断を受けていないので、多重人格者であるとは言い切らないが、このノートを書きはじめた理由がある。

それは今、生きづらさを感じている子供たちへ、様々な困難を抱えていても、信じてくれる人が1人でもいたら、明日も生きてみようと思って欲しいという願いからだった。

上辺だけの綺麗事にならぬよう、私が抱える障害を伝えることで、1人だけでも良いから、私の願いが届いて欲しい。

これから、私を守ってくれる仲間たちが適宜思いを綴ってくれると思う。

もし良ければ、気が向いた時にでも読んで欲しい。

私はこれからも信じてくれる恩師と、仲間と共に人生を歩んで行くつもりだ。