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短篇小説 予告5/10 (猫を狩る12/X)

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この小説は 連作短編の2作目になります。
1作目の『猫を狩る』はこちら

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 すぐにゆりママブログと不倫ウォッチ板に行くと、いかにもやらせ臭いので、三十分ほど時間を置くことにした。台所でコーヒーを入れていると、鍵穴に鍵を差し込む音がした。掛け時計を見ると時刻は十時半を回ったところだった。直之は一度出かけるとそんな早い時間には帰ってこない。早苗はバッグの中から葉月の携帯を取り出し、洗面台の上に置いた。ドアのチェーンが引かれる耳障りな音がしたので、玄関に出ると、葉月が口元を一文字に結んだ仏頂面で立っている。早苗はチェーンを外し、ドアを開けた。
「こんな時間まで何やってるのよ。連絡ぐらいしなさい」
 葉月は表情を変えずにのろのろとローファーを脱ぎながら、
「勉強。テスト近いから」
 と言って、玄関に上がり、目の前にいる早苗がまったく見えていないようなそぶりで、ダイニングキッチンに向かった。しばらくダイニングキッチンをうろうろと歩き回ったあと、すぐに自分の部屋に戻る。かばんも置かずに部屋から出てくると、
「あたしの携帯どこ? 返してよ。ママが持ってったんでしょ?」
 葉月は家に戻ってきたのか? 直之は帰ってきてないと言っていた。もしそうなら、そのときに家の中はくまなく捜したはずだ。
「何を言っているの? 葉月の携帯なんて知らないわよ」
 葉月は弾かれるように両方の眉を上げると、洗面所に駆け込んだ。すぐに、ピンクの携帯を操作しながら、洗面所のドアを開けた。早苗を見もせずに、自分の部屋へ向かう。
「ごはんは?」
 聞こえなかったのか、葉月は返事をせずに、自室に入り、ドアを閉めた。早苗は四畳半のノートパソコンの前に戻った。なぜ猫は獲物を飼い主に見せに来るのか。ほめてやるべきなのだろうけれど、気持ち悪いのでできればやめさせたい。猫、獲物、飼い主、という単語を検索窓に打ち込んでみると、猫の習性について書かれているらしいたくさんのサイトが浮かび上がる。斜め読みしてみると、猫が飼い主に獲物を見せにくるのは、ほめて欲しくて見せびらかしにくるというもの、狩りができない飼い主にご馳走してくれているというのが主な理由のようだ。叱ったり騒いだりせずにさっと片付けてしまうのが、正しい対処方法のようだ。ひとつだけそれらと違うことが書かれているサイトがあったので、開いてみた。猫のそのような行動は、飼い主に対する殺害予告であるというものだ。おまえもいつかこうなる、ということを示すために獲物を持ってくるなんて、馬鹿馬鹿しくて、笑う気にもなれない。でも、獲物を咥えたマオの表情はとてもプレゼントを持ってきたというような優しげなものには見えない。冗談にしては薄気味の悪いことを書いてあるそのサイトを閉じ、早苗はゆりママのブログを開いた。

 すぐに早紀の悪口というのも直接的過ぎるので、今日の出来事からだ。三時のおやつにプリンをつくった、というのはどうだろう。さっそくレシピ検索サイトから、誰かが作った手作りのプリンの画像を持ってきて、白っぽいスクリーンをかけて、楕円形に切り抜き、手書きの文字を入れ、ブログにアップした。こんな画像の加工ひとつにしても、けっこう時間がかかるもので、気がつくと時刻はもう十一時を回っている。

 不倫ウォッチ板には、すでに早紀のブログにアップした写真を避難する書き込みが五件ほど投稿されていた。早苗もさっそくブログのURLを貼り付けて早紀の非難大会に加わる。なんでこんな面倒なことを続けているのか、よくわからなくなっている。狩った主婦の恐怖に引きつった顔をみると、胸につかえが取れて気分がすっきりするけれど、最初に狩った主婦が、乳首を洗濯ばさみで摘まれ、動画を撮られながら、謝罪の言葉を繰り返すのを見たときほどには、溜飲も下がらない。ただ、直之とふたりで何かをするのは、ブログを経由してのこのこオフ会に出てくる主婦を狩るときぐらいになってしまった。ふたりでディズニーランドまで出かけて、舞浜駅のコンコース内にあるレストランで食事をして帰ってくるだけで、直之と、つき合い始めたころのように親密な雰囲気を取り戻すことができる。あのころ、自分達は安全なところに留まりながら、早苗を攻撃していた卑怯な連中をひとり残らず狩ってやりたいと、直之はよく、興奮した口調で語っていた。

 ゆりママのブログに何度か書き込みをしてきたアヤカという女から、メッセージが届いている。すでに早紀を狩る話には水を向けてある。アヤカが地方ではなく首都圏に住んでいるらしいことは確認済みだ。どこに呼び出すかまた考えなければ。
 葉月の部屋のドアが開き、足音が聞こえてくる。ほどなく浴室からシャワーの水音が聞こえてきた。とうもろこしのひげのような赤く傷んだ髪がつまった排水溝のことを思い出し、早苗はため息をつく。脱ぎ散らかした下着も、いつの間にか、十代の娘のものとは思えない下品なものばかりになった。直之のことを気持ち悪いなどと言うくせに、平気で直之の目に触れるところに出しっぱなしにしておくだらしのなさが、どうしても理解できない。そういう余計なものを買う小遣いは与えていないのに、ときどき父親に金を無心しているのも癪にさわる。無責任でだらしなく、異性にだけは愛想がいいところが、父親に似ているのだ。女癖が悪く、高卒の美容部員など、ただの遊び相手としか思われていなかったことは、最初に食事に誘われたときからわかっていた。妊娠に気づいたときには、まず堕胎することを考えた。どう考えても産んでくれと言われることはないと思っていたのに、とんとん拍子で結婚することになった。結婚してみたら、早く孫の顔を見たがっていた母親に無理矢理押し切られていたことがわかった。生まれてくる子どもが女の子だとわかった途端に、誰の子どもか、わかったもんじゃないわと、隣近所に言いふらされるようになった。元夫が、新しく配属された美容部員に手を出す度に、今までに何百回となく心に浮かんだ後悔が再び浮かび上がってくる。やはり、あのときに堕胎してしまえばよかったのだ。


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