イヤホンを外せ

「鍛高譚ってワルツなんだと気づいたことですかね」

ぽつりと答えた僕の声が一文字も届いていないかのような変なマが空いた。
仕事帰りに立ち飲み屋さんでノイズキャンセリングのイヤホンをしながら飲んでいたのだが、隣の見知らぬ客に肩を叩かれ「最近何か面白いことあった?」と絡まれたのだ。
嫌な顔ひとつせず、つとめて真摯に答えたはずだったが完全におかしな人間と思われたようなマだった。失礼な!僕からいわせれば見知らぬ人のイヤホンをわざわざ外させてまで凡庸なトークテーマを振るあなたのほうがおかしな人間ですけど。他人のエピソードトークを収集して勝手に酒のアテにしないでもらえますか、という喉までせり上がってきた怒りをハイボールで流し込んで「ごちそうさまでした」、そう言って他の場所で飲み直しを図る。今更ながら初対面でタメ口なのも腹がたってきたし、とっさに特別な面白エピソードが浮かばなかった自分の不甲斐なさにもころころ苛立ってきた。

再びイヤホンを装着し二軒目で白ワインを飲みながらここ最近身の回りで起きたことを振り返ってみる。淡々と日常をやり過ごしているとエピソードトークをこしらえるのはかくも難しいものなのか。

イヤホンイヤホンと唱えながら2杯目のワインに口をつけた頃、そういえば以前、髭/金髪にピアス/タトゥーがばしばしに入った腕、とイカつさ3種の神器を全て持ち合わせたお兄さんに目の前で「イヤホンを外せ」というジェスチャーをされてぷるっと震えた事件を思い出した。

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