あ、ザボンや。ここやったんか。 大通りを見下ろした眼差しの先にグレーがかった乳白色の看板がある。深夜2時に灯っていない、一見すると無地の看板に目を凝らすと消えかかった文字がなんとかそう読める。いや、見れば見るほど手書き調のタイポグラフィがぼんやりと浮かび上がってきた。随分と前に閉業したラーメン屋の、排気ガスにすすけた看板は優しい幽霊のような佇まいをしてこちらを静かに見つめ返してきた。
「鍛高譚ってワルツなんだと気づいたことですかね」 ぽつりと答えた僕の声が一文字も届いていないかのような変なマが空いた。 仕事帰りに立ち飲み屋さんでノイズキャンセリングのイヤホンをしながら飲んでいたのだが、隣の見知らぬ客に肩を叩かれ「最近何か面白いことあった?」と絡まれたのだ。 嫌な顔ひとつせず、つとめて真摯に答えたはずだったが完全におかしな人間と思われたようなマだった。失礼な!僕からいわせれば見知らぬ人のイヤホンをわざわざ外させてまで凡庸なトークテーマを振るあなたのほうがお
接客の上で心がけていることの一つに販売促進的なコニュニケーションをとらない、という強固な姿勢がある。 駅ビルに入っている大型の古着屋でアルバイトをしていた頃、研修の段階でランダムで向かい合った店員と笑顔ができているかを互いに確認する不気味な通過儀礼があった。
夏が苦手だ。 蝉が進行方向の先の電柱に身体をぶつけている様を察知したなら遠回りを余儀なくされる。虫がすべからく苦手とは少し違くて、死の直前まで必死にもがく声や羽音にどうも心がまいるのだ。 近所に伸びる緑道は秋ともなると金木犀の香りにくるまれてどこまでもすくすく歩きたくなるのだが、夏の時期は無数の蝉たちが「生きたい!生きたい!」と魂から叫んでいる気がして耳を思わず塞いで遠ざけてしまう。 僕が心底弱い人間だからだ。今日も最高気温36度の東京で「消えてしまいたい」という自責の念が
また文章でも書いてみようと試みて十数分、言葉が続かないまま「|」の点滅を眺めている。「|」は鼓動より少し早いテンポで物語を急かす。 また、というのはかつて書いていた時期があったからで、20代前半の頃は某ファッションサイトでブロガーを気取っていたこともあったが、ずっと遡れば中学2年生から大学3年生くらいまでは小まめに日記をつけていた。 まっさらに黒色の日々の肉塊である。 チャーシューのように紐で強く縛り付けたピュアがすぎる過去を改めてほどくことなどとても恐ろしくてできないので