ごく普通のわたしが、人々に勇気を与えられるとしたら。
勇気をくれる人とは、どんな人だろう。
たとえば、アラジン。
ディズニーアニメでよく知られているが、もともとは「千夜一夜物語」というお話集の中の「アラジンと魔法のランプ」。
貧乏人だったアラジンが魔法のランプで、夢を叶えてくというストーリー。誤解を生みそうなくらいざっくりだ。
アラジンをみて、「自分もあんな風になれるかもしれない!」と勇気をもらえるかといわれたら、もらえない。
勇気をもらうには、少しばかりの「リアリティ」が必要だと思う。魔法のランプを手にするリアリティは、万が一にもないと思うし、日本なら魔法の急須か、魔法の行平鍋であってほしい。
高校生の時、ほとんどの時間を陸上競技にささげていた。もともとの身体能力がまあまあ幅を効かせる競技で、トップになるのはなかなかむずかしい。そんな中、短距離走で世界と戦っていた末續慎吾選手が、めちゃめちゃ好きだった。
ある日、友人がこんなことを言った。
「末續って、高校時代は無名の選手だったらしいよ。」
マジかよ。これには勇気をもらった。
だって、あの末續選手である。ゴチゴチの全身バネのような海外選手がトップに君臨していた短距離界。その200mで3位に食い込むような男が、高校時代に無名選手だったなんて。
何したら、そうなれるんだろう。
自分も、もしかしたらそうなれるかもしれない。
そんなことを思いながら、過去の末續選手の成績を調べてみた。
バチバチに速かった。
え、速いじゃん。
インターハイも出てるじゃん。
なんなら国体で優勝してるがな。
どこが無名やねん。めちゃめちゃ有名やないかい。
有望中の有望やなかい。
お前の「無名」の定義はなんやねん。
お前が陸上情弱だっただけちゃうんか!!!!!
と、根っからの埼玉県人であるわたしが、関西弁でまくし立てたくなるくらいの八つ当たりを友人にしたかった。してないけど。わいた勇気は、そのまま蒸発して、消えた。
人は「ごく普通の人が、飛び抜ける」という、いわゆるサクセスストーリーに勇気をもらうのだろう。そしてそのジャンプ率が高いほどに、影響の強さも高くなる。
つまり、ごくごく普通の人からのほうが、強い勇気をもらえる。
となると、だ。
今の私はごく普通 of ごく普通だ。ごく普通代表、ごく普通事業部ごく普通事業課のごく普通の人である。
もしも、である。
ごく普通の、こんなわたしが、社会に対して何かを成し遂げることが出来たら。
そしてそれで、人々に「自分にも出来るかもしれない!」と、ちいさな勇気を与えることが出来たら。
もしかしたら、ごく普通のわたしが多くの人にポジティブな影響を与えることができるかもしれない。
これは、初めから恵まれた環境にいた人には出来ないことだったりする。
恵まれてる人がなにかでサクセスしても、「環境がよかった」「生まれがよかった」と思われてしまいがちだ。その人が努力や苦悩を山のようにしていたとしても、だ。
ごく普通の人であるがゆえに与えられる勇気、というものがあるのではないか。これは、ごく普通の人だけが持つ特権と言えるのかもしれない。
将来わたしが、もしも、人々に勇気を与えられたら、初めてこう思うだろう。
『ごく普通でよかった。』
だから今、めちゃくちゃ頑張ろう、という話である。
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