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指一本の労力

読みたい本が、たまってきた。

本屋さんに行き運命を感じた本に手を伸ばしてしまうだけでなく、「これは気になる!」と思った本もネットでポチッとしてしまう。こうして、積読が積まれていく。積もり積もって、本がミルフィーユのようになっている。

読む時間がない、というわけではないはずだ。たとえば、電車での移動時間。たとえば、お風呂で湯船につかっている時間。たとえば、寝るまでのほんの少しのゆったり時間。これらの時間に、本を開かず、気づくとあいつに時間を奪われていることが多い。あいつとは、そう、スマートなフォンである。

メールの通知があったから、メールを見た。明日は暑いのか気になったから、お天気アプリを開いた。ふと思い出した言葉が気になったので、検索した。何か目的があって手にしたスマホ。気づくと、最初の目的はとっくに果たし、いつの間にか全く関係のないページやアプリを見ていたりする。何を隠そう、さっきまでの自分がそうだった。ああ、消えてしまった時間よ、ぜひ戻ってきてほしい。

しかし、開きなおるわけではないが、そうなってしまうのも仕方ないよね、と思ってしまう自分もいる。

だって、親指しか動いてないんだもの。超省エネ。

指一本の労力。たったそれだけで無限とも言えるコンテンツにアクセスができてしまう。たとえばこれが、パソコンのマウスのように腕全体を動かさないと操作できないものだったとしたら、また違うと思う。体の仕組みとか脳の影響とか、そういったことはさっぱりなのだけど、この「親指しか使ってない」という事実は、スマホにのめり込んでしまう要因になっているような気がする。

本を読もうとすると、まず本を手に取って、両手で持って、ページをペラペラめくってしおりを探して、しおりを、だいたいが親指と人差し指で抜いて、読み始める。ざっくりとこんな流れだが、この単純な流れさえも指一本ではできない。読んでいる間も、しっかりと本を持つために複数の指が動いてくれているし、ページをめくる時には手首がわずかに動いていくれている。

スマホを見ている時の自分は、なんだか親指だけにコントロールされているみたいだ。もし仮に、スマホを見ている自分を隠しカメラで撮ったら、そこには親指しか動いていない自分がうつっているだろう。それはちょっと不気味だ。一部だけが動く写真、シネマグラフみたいで、不気味だ。

スマホから流れるコンテンツが悪いとは一概には言いたくない。面白いものもあるし、自分が知らない世界との距離を簡単に縮めてくれる。ただ、それだけで時間が経ってしまっては、積読はいつまでも積読だ。インテリアにするために、身銭を削っているわけではない。

スマートなフォンとは適度に付き合い、スマートにホンを読めるようになりたいものだ。

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