新・三種の神器とわがまま。
食器洗い乾燥機。
今や「新・三種の神器」のひとつとされているらしい、この家電に一度も触れたことがない。かろうじて触れたと言えることがあるとすれば、家電売り場の展示品の開閉ボタンを押したくらいだ。食器はずっと手で洗ってる。
食器洗いは「ごちそうさまです。」を言った瞬間がやる気の最高点だ。そこから、ジェットコースターのように急降下していく。シンクに食器をおいた時点で、食器洗いのやる気がゼロになっていることすらある。そして、あとあとにやる気が復活することは、まずない。
食器をさげた瞬間に、食器洗いを後回しにする理由が次から次へと思い浮かぶ。
「あとで牛乳飲んだコップと一緒に洗おう。」
「あとでアイス食べたスプーンと一緒に洗おう。」
「お腹いっぱいだから落ち着いてからにしよう。」
こんなふうに、他のアイデアもぽんぽん浮かんでくれればいいのに。と思っていると、どうやら食器洗いとアイデア出しというのは相性がいいらしい。
シャワーを浴びている時にアイデアが浮かんだ!歯磨きをしているときにアイデアが浮かんだ!という経験がある方もいると思うが、それは脳が関係のない単純作業をしている時に、いろんな情報を混ぜたり練ったり馴染ませたりして整理しているからだそうな。
その効果は信じる価値があると思っていて、なにやら、あのビルゲイツもそれを狙って食器洗いは自らすすんでやるらしい。食器洗いに時間をさくのは、決して無駄ではなさそうな気がしてくる。
なにより、そんな意識高そうな効果を期待しなくても、いざ食器洗いが終わってなにも無くなったシンクを見ると、清々しい気持ちになる。さっきまでごちゃごちゃあったものがなくなるというこの清々しさは、ちょっと病みつきになったりする。
ちなみにいうと、「新・三種の神器」の他のふたつも触ったことがない。残りのふたつが、ロボット掃除機とドラム式洗濯乾燥機。床掃除はコードレス掃除機とクイックルワイパーを駆使して部屋を歩き回ってるし、洗濯も、洗濯バサミとハンガーを駆使して干している。どちらも時間の無駄と言われればそうだ。なんの異論もない。ただどんどん床がキレイになっていく様を見たり、上手に並べて洗濯物を干せた時の清々しさを味わうのも、ちょっと悪くない。
時短になるかもしれないし、余計な家事がなくなるのはいいと思う。今日が12月24日で、通りすがりのサンタさんが「新・三種の神器、あげるよ?」と言ってきたら、遠慮なくもらう。だが、一度病みつきになった清々しさがなくなるというのも、ちょっぴり寂しかったりもするのだ。
ああ、なんて、わがままな。