意志表明と自分にとっての日記の話

前回投稿がほぼ一年前という事実

相変わらず自分の継続苦手な性格にびっくり。去年より時間を作りやすくなったので、小さな目標からコツコツ投稿頑張るぞ、という話。
とりあえず最低ライン隔週1日記くらいのペースと目標を立てて意志表明してみる。継続の目標としては弱い気がするけど、それ以外のこともしたいという欲もあるしそんなもんでいいか。

やりたいことはずっとあるし、それは前のツイ垢を作った6年近く前から変わっていない。文章を書きたい、絵を描きたい、ゲームをしたい、とにかく何かアイデアを形にしたい。それをこなせない自分を変えたい。その一歩が継続力向上だと信じてとりあえずやってみる。もちろんまだまだ知識をつけて練習すべき段階だからそれも含めて継続力あって困ることないだろ。

これだけ書いてて、次の投稿がずっと先になったら悲しいな。うーん、継続力って結局とりあえず机に向かうを意識する以外の方法を知らないかもしれない。でもまあやってみてダメだったら考えることにする。

自分にとっての日記の話

なんで今まで続けられなかったのか、日記というか自分の話、考えた話を書こうと決めたのか、残しておきたい。

多分かなりの学校で日記の宿題あったと思う。自分ももちろん書いていた。小学校中学年の間は週末の課題、それ以降中学を卒業するまでは毎日の課題だったはずで、最低限提出できる程度には書いていた、はず。若干自信はないけど少なくとも 8 ~ 9割以上は提出していた。

当時書けていたのはもちろん提出するべきだったからというのがある。今こうやって文章を書くのとは別物なところがある。それだけが一年も間が空いた原因だとすれば、自分は第3者が干渉しない限り継続できないことになってしまう。そう思ってそれ以外の理由を考えることにしてみた。

それが「自分にとっての日記」の話だ。あの頃どうやって文章を書いていた? と思い返してみると、日記を丁寧に読んでくれる先生だったから先生に話したいことを書いていた気がする。だから露骨に仲の良い先生が担任だった時は詳細に書いたり、内容が多岐にわたっていたりしていた。あんまり話したいと思わない先生の時は、雑だった。何をしたかを書いて楽しかったです。くらいのことしか書いていなかった気がする。

これを考えると自分にとってこういう文章を書くときに一番影響を受けるのは、「誰が読むか」なのかもしれない。

じゃあ、こうやって隔週投稿の目標を立てた以上、ここで自分がどうしたいのか、ちゃんと考える必要がある。自分は何のために文章を書く?
そう考えたときに真っ先に浮かんだのが未来の自分だった。確実に自分はいつかここにきて、この文章も読む。他の文章ももちろんのことだ。ふわふわと浮かんで考えたことも、どこかに残っていなければ必ず忘れる。今の自分と過去・未来の自分で意見は違う。それなら、ここに残したい。継続力もつくかもしれないし、ここに何かが残っていることが自分にとって役に立つかもしれない。それをとりあえず考えてやるっきゃない。

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