なぜ防災・減災なのか

マンガでたまに休載ってあるじゃないですか。あの制度めちゃくちゃいいですよね。体調不良とか原稿間に合わなかったとか、次章の構成考えるのでとか色々理由はありますけど、僕も何か理由をつけて1回くらい休載したいです。ただ、マンガの場合、休載後の作品はより高クオリティのものになっているという期待があるから許されるのかもしれませんが、僕は休載したところで低クオリティのままなので、許されませんね。文句を垂れるのはここら辺にして、今週分を書いていこうと思います。

大学、とりわけ幅広い分野を学べる政策学部でよくあることですが「興味分野は何?」のような類の質問をよくされます。知ってる人も多いと思いますが、僕は防災・減災に関する政策に興味があります。今日は僕が防災・減災の政策分野に興味を持つきっかけになった契機を書きます。

はじめに、災害について考えたのは小学3年生の時に経験した東日本大震災の時です。当時僕がいた群馬県も結構激しい揺れを観測しました。発生直後に津波に飲み込まれていく街を映像で見た時は衝撃的でした。その後もスーパーで食料がほとんど無くなったり、定期的に実施された計画停電など、震災の影響は長く続きました。人間は自然の前では無力なんだと幼いながらに実感しました。

その後、災害のことを強く意識するようになったのは度重なる九州豪雨の時です。近年、7月上旬に九州では大雨に見舞われています。毎年、テレビで濁流により壊滅的になった街を見ては、自然の恐ろしさに、ただ嘆くことしかできませんでした。何か自分にできることはないのかと、毎回自問自答しますが、予測できない災害になす術はないという結論になってしまいます。しかし、年を経るにつれて、災害の発生を食い止めることはできないけど、少しでも早く復興することに携わることはできると考えるようになりました。高校生の時には3年生の春頃まで、本気で防衛大学校に入学し、自衛隊員となって、復興の手助けをしたいと考えていました。しかし、昔から体あまり強くないため、そのような進路を選んでも周りに迷惑をかけるだけだと色々な人に反対され、自衛隊への道も断念しました。

貧弱な身体では防災に関わることはできないのかと意気消沈している時に、出会った学問が政策学でした。「防波堤などのハードを強化しても、予想を上回る規模の災害が来ることによって、その努力は無意味なものになってしまう。けれど、政策を通して、危機管理システムやコミュニティを改善していけば、災害は防げなくとも、その被害を最小にとどることができる」。政策学にであってからこのような減災という概念に近い考え方ができるようになりました。

人間は自然と密接に関わりながら生活しています。そのため、自然災害を避けて通ることは不可能です。けれど、災害に柔軟に対応で社会であれば、真の意味での自然との共生も可能ではないかと思います。「発災時犠牲者ゼロ」という状況がいち早く達成できるように。そのような状況に少しでも貢献できるように。これからも大学での学びを頑張りたいと思います。



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