見出し画像

「彩海せらさんの変化からみるマルセーロと豊」の話

※「あくまで私という個人が抱いた感想」です。
彩海さんが実際どう考えて演じておられるかは、私には知るすべもないので…!

暁千星さんの初東上公演にして、月組ラスト公演の大千穐楽が終わりました。
それは同時に、私個人の感覚としては、
彩海せらさんの月組デビュー公演が無事に最後まで終わった。
ということでもあります。

2022/1/11に発表された、衝撃の組替え。
発表からわずか2週間後の、1/26付の月組への組替え。
SLRR感想でも散々騒いでいた通り(笑)ひとつうえの101期・縣千さんとのコンビが大好きだった・これからもふたりの成長を見守るつもり満々だった私は、たいへんなショックを受けました。
どうにかこうにかいろんなものをこねくり回して、何とかバウ公演に駆け付けたくらい。(このときもとんでもない長文感想を書きました笑)
で、それが終わった後、なんと3か月以上の空白に、
さてあみちゃんは何してるだろう、どうしているだろうなあと、折に触れて思ったりしていました。

で、そうやって、待ちぼうけて、
長くなりすぎた首が多分とっくに重力に負けて地面にへばっていたくらいのタイミングで、ようやく「ブエノスアイレスの風」はやってきた。
やってきたら、なんか想定外にいろいろと面白くて、結局なんやらかんやらチケットを増やしてしまいました。
あみちゃん好きだなーやっぱりなー!!(再確認)

ということで。
さあ、彩海さんの、演技の話をしよう!!


「チンピラの青年」

彼女に今回、与えられた役割。
それは大分すれば、前回の雪組大劇場公演「City Hunter」で彩海せらさんに与えられたのと、同じカテゴリに入る。

小林豊は、ヤクザの下っ端。
マルセーロは、イキって軽犯罪を繰り返すチンピラ。

さらにはどっちにおいても、

・世間に拗ねた非行少年
・母との確執
・その「稚さ」ゆえに主人公とかかわり、ストーリーを廻す

という共通点がある。
まあ要するにストーリー上での存在理由が似てるってことでもある。

だからこそブエノスの配役が公開になった時点で「連続でそういう役なのか」という感想は、確かにあった。
なにせ絶対的に私のための物語でなかったCHにおいて、一切の誇張なしに「あみちゃんの小林豊」は救いだった。彼には彼の成長物語があった。しかもそれは、見るたびごとに変化していた。以前あみちゃんを褒めるだけのnoteにも長文を綴った通り。
彼女の変わりざまを見たくて、チケットを増やした。
なので、うん、残念な気持ちがあったのも本当です。
いろいろなお役を経験すればするほど成長していけるひとだから、全く違う色彩の役というのもいくらでも見たいのだ…彼女の成長曲線を末永く興味深く見守っていきたいファンなので、ね!

たださ。
一方でブエノスのあらすじ+αを見たときに、これはあみちゃんしかないだろう、とも思ったのですよ、マルセーロ。
あみちゃん以上にできる人もいなかろうと思ったのよ。
世の中に拗ねて適応できずに母を強請(ゆす)る、大して強くもないのにやたら肩肘張ろうとするショボいチンピラ。そして中の人事情として(中の人言わない)組替えして、月組生になって最初の作品。
どうしたって一番に、彼女と周囲との「差異」が激烈に出るだろう。
ほとんどがはじめましての相手の中で、きっとあみちゃんは全力でもがき、あがくだろう。
そのさまざまな「ちがい」が、きっと役と相まって、おもしろくなるだろうな、とても印象に残るだろうな、とも、思ったのです。
期待したともいう。

で。

「豊じゃん」

私の初日は幕が開いた少しあとだったので、薄目で流していた感想の中にはそこそこ、そんなコメントがありました。
他人の感想はあくまでその人自身だけのものなので、話半分で流しつつも、どうなんだろうな、と懸念してもいました。

……杞憂だったけどね!!(いい笑顔)


ふたりの差異はなにか

杞憂が嬉しかった話はここでもうさんざん書いたので、本題に入ります。
いち観客である私が考えた「彩海せらさんの変化からみる、豊とマルセーロ」の、ちがいの話。
ただし私、CHに関しては東宝後半しか観ていないので、ムラ時点での情報に関しては映像とレポだよりです。すみませぬ。

①豊の進化点

彼に関してはやっぱり「母との関係性」だと思う。
Blu-rayと私の記憶にあるものがあまりに全然違うため、毎回もはや見るたびに違和感を抱いてしまい、愉快。それだけあみちゃんの豊が変化してたんだよなあ。

ね、まずねえ、確か途中からだったんでしたね?
エンディングのところで豊がちかぜママと視線を合わせて最後には笑いあい、母の肩を抱くようになったのは!(もう私の遠い記憶の中にしかない景色)
しかも最初は回す手がグー→途中からパーになって、ちょっと照れたような笑顔で母の肩を抱く…ように、なっていった…。

このちょっとだけ素直になった最初、めちゃくちゃ腕の回し方がぎこちない+あまりに突然のことに、ちかぜさん泣かせちゃったんでしょうあみちゃん!?(役名で言いなさい)(レポでみた)
私が見ていたときは徐々にあみちゃん豊がちかぜママに気づくようになり、笑い合って肩を抱きながら手を振るふたりがかわいくて仕方ない、その笑顔が…もう今後豊は親孝行息子になるんだろ知ってる…!と思わせてくれる、もうはちゃめちゃなかわいさで、幸せで、なんかもうちょっとホロリともしてしまうような場面でした。

あの時代の男の子って素直になれないんだな」というのはカフェブレで彩海さんが言っていた言葉ですが。
それにしたって、ちょっと、あんまりにも、あんまりにも、かわいいし、もう、ねぇ。
豊は絶対口の悪い孝行息子になるんですよ。想像がつく。


②マルセーロの進化点

そして一方のマルセーロ。
マルセーロに関しては「自己否定」だと思います。

初日からやたら話題になった「やられ芸」(芸言うな)をはじめとして。
彩海さんの「マルセーロのショボさ、小ささ、不完全さ」の描き出しの容赦のなさですよ。
本当に…エグかったんですよね…特にDCでの変化が凄かった。
私は自分の手持ちチケットの都合でDC配信→現地での観劇だったので、余計に色々と、大変に印象深かった。

DCの彩海マルセーロは。
青年館と比較して、まず最初の登場でイサベラにコナかけるときの「自分が強いと思いこんでいるスカしっぷり」が増していた。
そしてこの虚勢が即刻打ち砕かれるニコラスとの場面では、完全に一方的にボコボコにされるやられ具合が加速した。劇場中の人が「ヒェッ…」ってなって凍り付いてた、間違いなくとんでもない異常な場面でしたよ、あそこは。
そして、そして。
特にここを語りたい、リカルドを撃ったあとの場面
ここのマルセーロ、膝をついてニコラス・リカルドのやり取りそれぞれに多段式にダメージを受けて「おれが ころした おれ おれが?」するようになってたんですよ。

あっ、と、思わずあげそうになった声を必死でこらえました。
配信では一切映ってなかったところで、がらっとあみちゃんのマルセーロが青年館とは変わっていて。
大変衝撃的でした。オペラ持つ手が震えましたよ…目が離せませんでしたとも…。

というか、そう、そもそもの話。
マルセーロってやつには、自尊心なんてものは、ないんだ。
母に言う「消えてくれって思ってるくせによ」は、そのまんま自分自身の評価として跳ね返ってる言葉なんですよ。小林豊は絶対こういうこと言わないし、たぶんそういうことを思いつきもしない、と思う。
マルセーロにあるのは、卑小矮小な自分を見ないための突っ張り、罵詈雑言に暴力という、無計画で野坊主な力任せのもの。
なんかもう演じてるのがあみちゃんだから、というのも物凄くありそうなんですけど、どうしても特にDCのマルセーロは、根っからのワル、なんかでは、まるでないように見えるんですよねえ…。
過去作品は、もう(そういう意味では特に)追えようがないので確認のしようがない。比較対照できるものがないので、わ、わからん…どう見えてたんだろう過去のマルセーロ…。

DCのマルセーロは、ホントに、見れば見るほどに凄まじく痛々しい
母が見送りに来る場面、母が目に入るとその瞬間にふっと表情が幼くなるんですよ。
で、「待ってるから」って言われた瞬間には、きらっと目が光る
光って、その感情ごと知らんぷりするみたいに、ふいっと顔をそむける

あみちゃんのマルセーロは、芝居が深まっていけばいくほど、悲しくなってしまう、寂しくなってしまう、さみしいさもしいよわっちい人間でした。
特に見ていて悲しい感覚になるのは、「あんたら知り合いだったのかよ」から後の場面。
そこにいるのは「だれからも話を聞いてもらえない子」で。
「他人から興味を持たれる手段として、暴れる、悪いことをするしか知らない子」だった。

「あんたら知り合いだったのかよ」。
その前の名前のくだりだってそう。
聞いても、相手は答えてくれない。どころか、ニコラスとリカルドは、マルセーロを完全に置き去りにして、激しい口論を始める。
あの「答えはもらえない」とわかった瞬間のあみちゃんのスンッ…て表情が、そうされることに慣れている、慣れてしまっている人間のそれでアアアア…ってなった。んでもって、マルセーロは完全蚊帳の外にしてどんどんニコラスリカルドの二人が白熱していくから、そこに反比例するように、どんどんマルセーロはどうしたらいいのかわからなくなっていく。
すごく身の置き場がない。
というあみちゃんの芝居がうますぎて、見てると本当にかなしい。
そして、そんなところで最悪に過る、警察の影…。
だいきらいなものに、それまでの鬱屈をすべてぶち撒けるみたいに、カッと、なって。
暴発した銃が、偶発的に、傷つけようとも思っていなかったはずの相手の命を、奪う。

ここ。
やってしまった、マルセーロは。
青年館では、撃ったからだのかたちのまま、ただ呆然とニコラス・リカルドのやり取りを見つめていた。
ふたりが何の話をしているのかも理解できないようで、二人が必死の言葉をかわしあう間、かれには、ほとんど反応らしい反応がなかった。
ので、何を思ってるんだろう、実際にどんな目を向けているんだろうか、と。
あみちゃんにしては珍しく、役の感情の動きがわからないな、と、思った場面だったりしたんですわ。実は。

そして一方のDC。
一連の動きがほぼまるごと変わっていて、本当に驚いたし、初見で変な声が出そうになったし、心のなかで超大喝采を送ってしまった。

まずニコラスに殴られたマルセーロはうずくまり、そこから這いつくばり(広げた指が震えてて痛々しい)→土下座みたいな体勢になって顔だけニコラスとリカルドの方を向く、おれがやったのか…?という表情をする①。
次に上半身を起こし、膝をつく。
リカルドの叫びが聞こえるたび、膝上に、ものすごく行き場のない両手が乗ってうろうろうろうろしている。
両方の膝頭をギュッと握り、目線を膝上に落とし、いやそれでも逃げることはできず、またリカルドが絶叫する瞬間にハッ!と二人を見る。
「死にたくない!」と叫ぶリカルドに、おれ…おれ…?という途方に暮れたみたいな顔する②。

DCのマルセーロは、自分がリカルドを撃ったこと、殺しかけていることを自覚している。
自覚してはいるが、しかしなんの方法も知らない彼はただ見ていることしかできない。そんなやつだった。
この新たに加わった「人を撃った殺した自覚」がすーっげぇつらくてめちゃくちゃよかったんですよ。
5/24マチネのここのあみちゃんマルセーロが、もう本当にずたぼろに自分勝手に傷ついてて、でもそれを拾い上げる人なんてあの場面には誰もいるわけなくて、ひたすら一人でズッタズタになっていってて。
本当に最高だったんですよ…。
痛々しさがmaxだった…大好き…。

で、こんなことがあったあとに。こんなのを見せられたあとに。
最後、護送の場に見送りに来てくれる母・フローラですよ。

ここは配信でもバッチリ抜かれてたので映像が出たら是非チェックしてほしいんですが、あみマルセーロ。
視界にフローラが入ったのだろう瞬間に、ふっとすごく顔が幼くなるんです。
そして「待ってるから」という言葉をかけられたそのとき、親子の視線が交わされるそのとき、きらっとマルセーロの両目が光るんです。泣くわけじゃなく怒るわけでもなく、すごく形容の難しい表情のなか、本当に一瞬だけ、ひとみに光が宿る。
宿ったかと思うと、そっぽを向いて、連れて行かれるマルセーロ…。

……。
……!!!

なんか、ぱーん!と一本筋が通った感覚があった。
ここでようやく親子が交錯したのか、と。
やっとふたりが、向かい合った親子の時間が始められる、のかもしれない、と思わせてくれた、一瞬だった。
変わるかもしれない。
まだ希望、とも呼べない、そんな、些細な可能性の未来を感じた。

いやなんかね。青年館のときのふたりは、若干フローラが義務っぽい…というか…。
いやこれもちょっと違うな…フローラ自身がどう息子に触れたらいいのかわからないような感覚と、それゆえの若干の「息子」への熱の低さ、そしてそれに対して、マルセーロも答えを持ち合わせていないような感覚があったんですよね…。
「待ってるから」のあの言葉が、若干ふわっとしてしまって。きちんとマルセーロにまっすぐ届き切らなかった、みたいな、そういう感覚。
あみちゃんがナウオンで言っていた「マルセーロは変われ、るのかどうか」、そこのところが、悪い意味では決してなく、わからないな?どうだろうな?と思いながら見ていました。
母も改めて、殺人を犯してしまった息子にどう向き合うのだろう、と。
そういうところがわからなかったりも、しました。

一方のDC。
晴音さんフローラの熱が、明らかに上がって。
グレ果てていく息子をどうにもできない、自分自身の無力への憤りみたいなものが、かなり最初から見えるようになった。
そしてあみちゃんのマルセーロは、今まで書き連ねてきたとおり、あまりにも、様々な場面で自ら、ズタボロになっていくようになった。

「だから」。
だから、あの結末。

なるほど。
見てしまった、何もかもに、ものすごく納得がいってしまった瞬間だった。


つまり何が言いたいかというと

いやー、もー、もー。
おもしろかったなぁーーー!!
ってね!!

「同じチンピラ」でも、なるほど、まったく進化点が違った。
そこが異なることで、舞台上での印象も、その個人のストーリーの深まりも、変化していった。
やっぱり全然違うなあと、改めて書いていて思いました。そしてこの2人の差異は、(当たり前のことかもしれませんが)演者であるあみちゃんの中で、しっかり整理されているのだな、と。
あの豊がなければ、このマルセーロもなかっただろうことは当然なのだけれど。
だからといって、「同じ」には、しないあみちゃんが、本当に頼もしいなあ、今後が楽しみだなあ、と。
大変にわくわくしてしまう私がおります。

きっと、もっともっと彼女は、我々の知らない顔を魅せてくれるのだろう。
そのお役の知らない面を、引き出してくれるのだろう。
そうやって期待できることが、本当に、
何よりもうれしいなあと思う、今日このごろなのであります。
本編配役も無事に出て、いやはやギャツビーも楽しみだ!
本編バイト三昧かもしれないけれど…!

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?