信頼

脱力を「しよう」とすると、逆に緊張してしいます。

そもそも「しよう」とする意識を持つだけで、
身体には「さぁ、動くぞ」という準備の緊張が生まれてしまいますので、
「~をする」という意識を極力なくしていく。
結果的に脱力をした状態になるようにもっていく。

「~をする」武道ではなくて、成る武道。

より深い意識に任せる、委ねる、信頼することで脱力している状態になる。

深い意識とは生命力や氣と呼ばれるものでもある。
なので、脱力はしているが内はエネルギーに満ち満ちている状態です。

脱力ではなく信頼する。

おそらく瞑想も、
深い意識のハタラキを感じ、
そこに手を加えない稽古なのだろうと思うのです。
そこでうまれる思考や感情をジャッジしないで観察をする。
その流れやリズムが生み出すものを信頼する訓練。

こういうことで、気配のない動きが出来てくる。
始めと終りのない円環の動き。

理を体現する。
球の理そのものになる。

つまりは、
たとえそれで死んでしまってもいいというくらいに、
球の理、「腰回し」を信頼すること。

それは、
深い自己と他者を信頼することでもある。

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