前回からのあらすじ...


2024年2月某日

オトコはずっーーーーと抱えていたモヤモヤに向き合うべき行動を開始する事にした。

というのも、

「いつまでこの仕事をやるんだろうか?」

という疑念がいつまで経っても消えないからだ。

どうしてどうして僕たちは出会ってしまったのだろうか?ならぬ、どうしてどうして僕たちは生まれてきたのだろうか?
そんな松任谷由実の替え歌が脳内をリフレイン、気づけば1人つぶやいている...

YouTube参照
https://youtu.be/-ZpQmBhxOT0?si=fpSS1xZAcKeXR4-P

「では何かやりたい事があるのかねキミは?」

...ない。

「そもそもあったらもうそれやってるし!」

好きな事やったところでマネーにもならん。続かん、はいしゅーりょー。

ただ漠然と何か違う、と抱えながら、
毎日を惰性にまみれて過ごす...

何やっても続かない、中途半端を極めていると言えるのかもね、この中途半端仕事にならんかなぁ、職業:中途半端...

これが現実だ、とはいえ、希望を失ったらこの先の残りの人生を死にながら生きていくことになる。

「このままで終わっていく人生でいいのだろうか?」

やりきったなら我が人生に悔いなし...
もし明日死ぬとしたら、果たして、その言葉や死を受け入れられるのだろうか?

全くもって自信など湧いてこない。

前回少し話したが、現在の僕の仕事は建築業界でニアゲと呼ばれるものだが、なんか続いてしまっているというのが正直な状態。

ニアゲの仕事は正直キツイ、現場系の仕事で1.2を争うほどの重労働といわれたりもする。
それでも元々は、大工さんが自分や弟子に任せてた仕事の1つだったが、大工の高齢化と効率化による分業によってニアゲというスキマ産業がうまれた、という背景がある。

なので参入しやすい事業であると思う。
現在は荷揚げ屋の乱立により狭いパイを取り合いになってしまっている状態とも言われている。
そしてそれによる昨今の受け値価格の崩壊...
結局は足元をみられるのだ。

そして体力なんぞいつまでも続きはしない。だって人は老いさらばえる生き物だから、人はみな死に向かって歩いている。

と何やら叙情ぶってしまったが、
要は体力キツイし好きで始めた仕事ではないし、決して適正が優れていたわけでもない。

だからこの世界から抜け出したい、
それだけのことである。

口だけは達者で想いだけは強い、しかし肝心の行動力が伴わない、否、というよりは向き合う覚悟がそもそも足りてないのではないか?

ニアゲに鍛えられて、それなりに成長もさせてもらったし、今なおこれで稼がせてもらっている...この肉体美はニアゲがあってこそ。

勿論、綺麗事さ、しかしそこへの感謝はホントにあるんだよ。

そして現在フリーランスで働きつつ、
大手ではないがお仕事を頂戴している会社の手伝いもしていて、いつの間にか幹部扱いにしてもらっているならなおさら引き際はきれいに。

なので、自分が抜けても回る会社にして、
ボクは違う世界へ旅立とうと思っている。

「そのために会社を自走させる必要があるんだ!」

「ニアゲが仕事ではなく趣味になればいい、」

そこで、僕はある決心をすることになる...


続く





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