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横並び同時ゴールな教育が自己効力感を奪っているかも説。

徒競走で順位をつけずに皆で手をつないで一緒にゴールするという教育が注目されたことがった。実は「利他性」(他者の利益について考えることができる性質)が低くなるということが行動経済学の分野で検証されている。(行動経済学が解明を目指す「幸福」の正体~重要なのは使命感や利他性を養う教育だ→https://toyokeizai.net/articles/-/233198?page=4

東洋経済の記事内では、こう考察されている。

いろいろな分野で共同体に貢献する人たちが利他性を持つためには多元的な価値観が必要で、そのためには多くの分野での誠実な競争はむしろ望ましいのであろう。

これはとても興味深い結果だと思う。

横並びで、皆一緒が良い。
他者と比較して順位をつけるなんて我が子がかわいそう。
なんて親がたくさんいたのだろうか。
(内心、なんでやねん!とこの話を聞いた時に突っ込んでいた。いや、声に出ていたように思う)

ナンバーワンになれなくてもいい、もともと特別なオンリーワン。

超絶有名な曲の歌詞では、こんな風に表現されていたし、ひとりひとりの個性に注目しようという話だ。これは悪いことではないし、むしろ良いですし、多様性に着目しているように思う。
これを間違えて解釈してしまうと「ひとりひとり、それぞれの良さがあるんだから、甲乙つけずにみんな一緒が良いよね」という、謎の横並び意識が、大事な社会性のひとつである「利他性」を損なうというのが本当に興味深い。

ひとりひとり、それぞれの得意分野があって、勉強が得意ではなくても、運動が得意という人もいる。その逆もある。

自分以外の人の得意なことを認めることができたり、自分の苦手なことを自覚できることは大切だ。それは将来、チームで仕事をする時などに必ず活きてくる。協働することで、一人ではできない成果を生み出すことができるようになる。

中学校以降で部活をせずに受検だけやっていたとしたら、順位がつくのはひたすらに学業の成績のみという可能性だってある。教科別にあるやんって思うかもしれないけど、それでは非常に狭い範囲だと思う。また、勝って嬉しいとか、負けて悔しいみたいな情緒の発達の機会もとても少なくなってしまいそう。挫折を体験する機会も少なくなる。もちろん成功体験を積む機会も。やっぱり勝ったり負けたりの機会がたくさんあることで、精神的にも成長するんじゃなかろうか。

・達成体験を積む機会の減少。
・他者のがんばりを見て自分もがんばろうと思える機会の減少。
・勝って賞賛される機会、負けて励まされる機会の減少。
・ドキドキする機会の減少。

これって実は「自己効力感」を高める機会がとても減っているのかもしれない。だから健全な競争っていうのは、とても大切なのだ。

成功や失敗の過程の中で、お互いに認め合い励まし合い、他者との信頼関係が育まれる。しかも負けることで痛みを理解することができる。失敗や敗北から学ぶことは多い。

稲盛和夫さんが「利他の心」の重要性を説いている。
私が若手社会人時代にいた会社では「利他の精神」「利他志向性」という言葉が社内で飛び交っていた。(経営者が盛和塾生だったので!)

利他の心っていうのは、人は勝ったり負けたりしながら、うまくいく時もあればいかない時もあるし、そんなことを内省し続けることで、人は複雑なものだし、弱くて愚かな生き物だよってことを知ることで理解できてくるのかな...とかなんとか思ったり。

まぁ、小学生って、皆で一緒にゴールしようがどうしようが、結局は足の速い男子がモテるとう話はあんまり世代を超えて変わっていないようですけどね!(笑)

それではまた!

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