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期待や能力と意志のミスマッチが招きかねないLose×Loseの関係性。

ある海を渡ったスポーツ選手を、自分勝手に案じながら思うことを綴りたいと思う。

恵まれた身体機能、能力、実績。どれも申し分が無いはずの人材が、その道の最前線で成果を出すことができず苦戦する。この手の話はこれまでにも数多く存在したし、きっとこれからも起こるだろう。

その選手は高校時代に華々しい実績をつくり、プロの世界に身を投じてからも当初はその才能を存分に発揮したと言えよう。しかしながら、その実績に満足していては、周囲のアップデートにはついていけなくなるだろう。対策だってされるわけですし。また自分では気づかない自分自身の変化というものもあるわけで。それは人間なので仕方ないことだと思う。

ただその能力を最大限に発揮できるポジションがあり、実際にそのポジションに抜擢された時には素晴らしい力を発揮することがたびたびあった。

にもかかわらず。「過去の栄光」とでもいうのだろうか。自分の中での強いこだわりにより、自分のやりたい「こと」に固執することで、自身のパフォーマンスが発揮できないばかりか、組織(チーム)も多大なる損失を被ることが続いている。

やりたい「こと」。その「役割」へのこだわり。それは不要な余計なプライドなのかもしれない。いや、プライドでも何でもない。ただのええかっこしいに成り下がってしまいかねないとすら思う。

プレッシャーは間違いなくある。そんな中で第一線で戦うことは尊敬に値するものだ。ただ一方で、本当にやりたいことは、その役割に固執することで実現できるものなのだろうかと、機会があるのなら(笑)じっくり志を問う対話をしてみたい。その志を実現するための方法や手段は、その役割じゃなければ実現できないことなのだろうか。

自分のリソースを適切に自己認識する。 他者からの期待の声に耳を傾ける。 意固地にならず柔軟に方法を考える。 そもそも何のためにやっているのか再確認する。 いくらやってもうまくいかないなと感じる時に意識したいと思うこと。

もちろん、最後には「自己決定」「自己選択」が大切になるので、それでもその道を貫き通すというのなら、それも悪くはない。けれど、明らかに能力と周囲からの期待と、本人の意志のミスマッチが明白な中、貫き通すのは本当にプロと言えるのだろうか。(そういう世界もあると思う。けれど、彼の世界はそうじゃないのでは。)

そして、この話は何もスポーツの場面に限らない。ビジネスシーンでも十分に起こりうることだ。

本当に実現したいことに気づくこと。そして自分自身がパフォーマンスを発揮し、何かにしっかり貢献することができて、自分の成長や成果を感じられてこそ、イキイキとすることができると思うのだけれど。

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