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建築史は社会に何ができるか

※大学のレポートで製作した文章です。

 建築雑誌2007年5月号の特集「建築史は社会に何ができるか」に寄稿されている各建築史研究者の原稿によれば、建築史の活動は大きく3つに分類できる。根底にある「調査」と、その上にある「保存」と「叙述」だ。そして、それらの活動について、以下の5つの社会的な役割が期待できる。

1. 歴史的に価値のある建築物を保存すること。(保存)
2. 保存活動を通じて地域のコミュニティを活性化すること。(保存)
3. 人間のアイデンティティとして建築を捉え分析すること。(叙述)
4. 建築という観点から世界史を照射すること。(叙述)
5. 建築家に対しての教養的要素であること。

 こうして挙げてみると、建築史とは様々な領域を横断する膜のような繋がりを持つ学問であり、そうじた活動全体が建築を通じて地域のアイデンティティを叙述し、その語り部として建築を保存していくことでアイデンティティを伝承していく役割があるように思える。本特集では歴史的な文脈を切り離したモダニズムと徹底した消費社会主義による文化への侵攻に対して、建築史はどうあるべきかという問いが冒頭にて掲げられているが、陣内秀信氏のいうようにいかに変容しようとも「都市を読む」ことはできるし、さらに藤森照信氏の言うように、人々の知的好奇心に働きかけることができる。むしろ失われてしまったからこそ、形を掘り起こす、つまり“死んだ世界を生き返らせる”と言う建築史のアプローチが重要だろう。

 これは私の主観だが、自身のアイデンティティが迷子になったような感覚に陥ることがある。突然自身がどこにも紐づいていない感覚になるのだ。それはきっと機能主義的デザインによって「ふるさと」から浮遊し、画一的に収束したデザインであったり、SNSによる価値観の画一化など、世界を標準化しようと言う潮流が原因であると思う。そしてそうした環境にさらされ、アイデンティティを見失った私は、古い街並みの残る場所や歴史を語る本などに関心を示す。それは標準化された価値ではなく、私に連綿と繋がる歴史にアイデンティティを求めるからではないだろうか。

 歴史は漠然と浮遊した今の私たちと周辺環境にとって強烈なコネクションとなり、土着のアイデンティティを想起させる。その意味で、建築史は建築家に対する教養的要素であり、アイデンティティを捉え、歴史を叙述し、その語り部として建築を保存するのである。

都市計画家のクリストファー・アレグザンダーによれば、“形とは、我々がコントロールできる世界の一部分であって、その世界の他の部分をそのままにしておきながら、我々が姿を変えることのできる部分である。この世界で形に対する要求となるものは全てコンテクストである”。一方で、人間は生物であり、リチャード・ドーキンスに言わせればちょうどつい最近、利己的な遺伝子の搭乗する動物という乗り物からほんのちょっとだけ脱し始めたぐらいである。言うなれば私たちは自分の意思で生きているようでいて、まだまだコンテクストに囲まれている。そして私たちはそうしたコンテクストによって形を与えられ、デザインされている。

 そう考えると、私たちが今までそうしてきたように、コントロールできる世界を広げていくとき、コンテクストから与えられていた形を忘れてしまわないように過去の形を保存すること、そしてそれを叙述することは未来の私たちが居心地の良い形をコンテクストによらず産み出そうとするとき、重要な手がかりとなるのではないだろうか。

 ちょうどガウディが自然的要素にデザインを求めたように、人間の自然的な形を調査し、保存し、そして叙述することは未来に対する痕跡を残す意味で非常に重要な活動である。

参考文献
『建築雑誌』|2007年5月号
利己的な遺伝子|リチャード・ドーキンス
『形の合成に関するノート』|クリストファー・アレグザンダー

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