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西九州新幹線開業にまつわるよしなしごと

素早く、そして、多くのヒトやモノを主要な場所まで移動させる。新幹線は人体における大動脈のようなものだ。しかし、これからの地方に本当に必要なのは、各地に行き届く毛細血管のようなきめ細やかなシステムなのではないだろうか。


 日課の一人ドライブの道すがら、新大村駅から静かに発車する「かもめ」が見えた。この三連休、新幹線沿線では開通を祝う催しでにぎわっていた。

 メディアは、新たな新幹線の開通を盲目的に寿ぐ。それは、生活圏が離れれば離れるほどただのお祭りごとを報告するような、そういう報道だ。SNSを開けば、お祝いモード一色の投稿が散見される。あたしは静かにアプリを閉じる。お察しのとおり新幹線が通らない市町村に住んでいる。

 この新幹線開通においては、問題が山積している。まず、短縮時間である。新幹線が運行するのは、武雄温泉駅から長崎駅までの66キロの道のり。博多から長崎への移動時間は最速1時間20分で、約30分の短縮だ。果たしてこれは、注ぎ込んだ約6200億円に見合うのだろうか。博多-鹿児島中央間を143分短縮した結ぶ九州新幹線と比較せずにはいられない。

 次に問題なのは、他の新幹線に繋がっていないことだ。博多ー長崎間が少々短縮されたと言っても、新鳥栖ー武雄温泉間は、在来線しかない。一度乗り換えなければ、他の、この場合は九州新幹線に乗り継ぐことはできない。新鳥栖ー武雄温泉間も新幹線を走らせる「フル規格」案もあるが、資金負担の面もあり佐賀県は反対し、見通しは立っていない。

 そして、これは個人的に一番メインルートから外れた長崎本線の減便である。長崎本線の江北ー長崎間は1日45本(1時間に1~2本)運行されていた特急は14本に減らされた。そして、区間も、博多ー肥前鹿島間となり、肥前鹿島ー長崎間は全て廃止された。利用客数がわずかとは言え、高速道路も通っておらず、沿線住民とっては衝撃的だ。他の通わなくなった部分から壊死していく身体のような、そんな地域の将来を憂いてしまう。 

 徳島、高知県境では、線路と道路を走れる「デュアル・モード・ビークル(DMV)」というものが運行しているという。新幹線とは逆の発想だ。鉄道路線の維持コスト削減や観光資源としてだけでなく、過疎化していく地方において、より緻密な交通を実現できるシステムではないだろうか。「線路も道路も走る」そういう柔軟さもこれから求められていく要素のように思える。新幹線が開業してしまった今、言っても仕方ないのだけれど、そんな何ができるわけでもないけれど、薄い後悔をしている。

 かく言うあたしも、実際に新幹線が開通するまでは、最寄り駅の在来線の減便や下り方面の特急廃止について全く理解していなかった。いくら見聞きはしたはずだが、その現実味を、危機感を全く感じていなかった。いつまにか近隣の市に新しい駅ができて、線路が延びて、いつのまにかその日を迎えた。そうやって実際の生活が脅かされて、初めて思い知った。あたしも大多数のみなと同じように、盲目的な民だったのだ、いや、もしかしたら今も。

青春18きっぷ
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