チープな修飾語はいらないな…。

新型コロナウィルスが人類共通の脅威となって数ヶ月。各国のリーダーと称される、いや、称されてはないけどそんな立場にいる人たちの言動を報道を通じて見聞きする機会が圧倒的に増えた気がする。

真摯に国民に向き合っているなぁと感じる人物なんてごく少数。ほぼほぼ、自らの保身のため、自らの主張の正当性をアピールするためだけに、国の重要決断を下している人ばかりだと感じてしまうのは、自分だけだろうか。まあ、「これが政治家だ」と言われてしまえば、ハイそうですよね、なんて無機質な返事をするしかなかったりするんだけど。

よく、リーダーって何だろうと考える。一国のトップ、はたまた世界を動かす大国のトップと比べると圧倒的に小さな対象かもしれないが、私は幸運にもスポーツ業界の偉大なリーダー数名と向き合う機会があった。

その1人の背中が、初対面でとてつもなく大きく見えたのを覚えている。1人のプロとしての責務、団体のメンバー全員を養うためのトップとしての責務、そして業界全体をよりよくしようという責務。それら全てを背負っていたからなんだろうな、と後日感じるようになったんだが。

三沢光晴さん。享年46。11年前の今日、リング上での事故で亡くなった伝説のプロレスラーだ。2000年7月、入社数ヵ月の素人記者が担当を任されたのが、三沢さんが新たに立ち上げたプロレス団体プロレスリング・ノアだった。

右も左も分からない、そもそもプロレスなんてほとんど見たことがない私にとって、有名レスラーが多数所属し、その頂点に立つ三沢さんと向き合うことはプレッシャー以外の何物でもなかった。無論、プロレス界のスター選手だった三沢さんには、他紙・他誌の優秀な先輩担当記者がついており、私なんかが割り込める状況ではなかった。

ただ、ラッキーだったのが、他紙・他誌の先輩記者の方々の器の大きさだった。ぺいぺいの私なんて敵じゃなかったこともあっただろうけど、三沢さんの酒席に一緒に連れていってもらえることが増えていったのだ。仕事ではボロクソにやられまくったけど、それは競争だから無力な私が完全に悪い。私にとっては、先輩方のお陰で三沢さんやその周囲のレスラーと酒席を共にできるのが、とても貴重な体験だった。

三沢さんは酒席では真面目な仕事の話を嫌う人だった。皆で楽しく食べて、飲んで、歌って。でも、時々、何軒目かのスナックで、ふとしたタイミングでふざけた中に真面目な思いをちょいちょい口にして。先輩記者に比べたら、人としても記者としてもぺいぺいの私と三沢さんの関係値なんて見るに耐えないものだったけど、それでも食いついて、食いついて。わずか1年6ヶ月の担当期間で、取材対象者との距離感や質問の組み立て方から酒席のマナーまで、様々なことを学ばせてもらった。

決して雄弁なタイプではない。でも、人を見る力は抜群だから、相手の質問の意図を見抜き、うまくさばく。本音を少しでも聞き出したいから、前夜からひたすら質問やその流れを考える。でも、現場で玉砕する。他社の先輩方はどこで聞いたのか、充実した情報を発信する。惨敗、また夜中まで考える、の繰り返し。私の記者生活の根幹を形作ってくれた1人が三沢さんであることは間違いない。ふとした何気ない一言一言が心に響き、気づけば私のその後の仕事に生きている。

義理堅く、ポリシーは曲げない。一方で所属選手1人1人の思いを尊重しつつ、彼らを守る姿勢は崩さない。首に激痛が走り、手先が痺れても、スター選手であり、団体の長である立場だったから、自らの休場を許さなかった。どんな難局でも自分が矢面に立ち、責任を受け止めた。責任逃避なんて絶対にしない。私心を捨てて、1人1人を、全体を想う。まさに、真のリーダーだった。

2002年1月中旬、高松市。私のサッカー担当異動が通達された夜、先輩記者の方々の耳打ちのお陰もあり三沢さんに試合後、ささやかな送別会を開いてもらった。予定された会合に送別会テイストを加えていただいた。

いつものように、食べて、飲んで、笑って、歌って。気づくと朝6時だった。フラフラとホテルに帰る道すがら、三沢さんと目が合うと軽くエルボーが飛んできた。プロレスファンには堪らない「三沢のエルボー」である。

「お前が受けたそうな顔をしてるからよ」。いつものいたずらっ子のような笑みを浮かべた三沢さんが、次の瞬間少しだけ真面目な顔でこう言った。

「どこに行っても、仕事は楽しくないと意味ないじゃん。楽しい仕事って、自分で責任持って決断する仕事だから。頑張れよ」。

わずか数秒。他人が聞いたら、たわいもない当たり前の言葉だったのかもしれない。でも、未だに心に残っている言葉だ。私の仕事、人生の指針になっている。

「空前絶後」という四字熟語が随分チープに聞こえたことが、最近あった。重要な政策内容を修飾していたんだけど、驚くほどチープに聞こえた。メッセージの中身がどうこうではなく、発した人の想いや覚悟が言葉に宿っているかどうか、なんだと感じた。

真のリーダーは、言わずとも責任や覚悟を背負い、私心を捨てた判断を下すことができる。何より、周囲に影響を与える言葉がある。長短や小難しい知識、単語を使えるかどうかではなく、想いや覚悟を乗せた言葉がある。

あれから18年、三沢さんが亡くなってから11年が経った。今振り返っても、真のリーダーに学び、その言葉を聞けた1年6ヶ月は、本当に貴重な日々だった。

#三沢光晴 #プロレスリングノア #三沢のエルボー #リーダー

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?