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100年前の詩・きのう・きょう

萩原朔太郎の詩に「利根川のほとり」という一篇があります。14歳の8月20日はこんな気分でした。

きのふまた身を投げんと思ひて
利根川のほとりをさまよひしが
水の流れはやくして
わがなげきせきとむるすべもなければ
おめおめと生きながらへて
今日もまた河原に來り石投げてあそびくらしつ。
きのふけふ
ある甲斐もなきわが身をばかくばかりいとしと思ふうれしさ
たれかは殺すとするものぞ
抱きしめて抱きしめてこそ泣くべかりけれ。

この詩を学校の書庫で見つけて、100年前の人も自分で自分を消してしまいたいと思ったりするんだな、と驚いた記憶があります。死にたい気持ちに時代も年齢も関係ないのに。

中学生の頃が人生でもっとも過酷だったと思います。
いじめがあった訳ではありません。家庭にも学校にも恐ろしい暴力はありませんでした。それでも人は、わずかなズレや歪みで壊れてしまうことがあるのです。私たちはそれなりに複雑な分子機械なのです。
当時の私は大人しく成績もよかったけど、大人の目を盗んで非行に走るような、混乱した日々を送っていました。

大人から見て良い子というのは、知れば泣けてしまうような激しい孤独をこころの内側に持っていたりするものです。

詩の作者は100年後を生きる中学生に向けてこの詩を書いたわけではないでしょう。でも当時の私には、この詩がこころの支えになっていました。情けない私のちっぽけな命を、慰めた言葉のひとつです。
日々を生き延びて、詩集のたった1行に不安と孤独を癒され、その1行を頭の片隅に置いて、いつでも手に取れるようにしました。


それから中学生の私は、憂鬱な気持ちを詩に残しはじめました。それを誰かに知られることが恐ろしかったので、頭の中で書き散らしていました。その当時の、暗くひんやりした音のない世界を、いまはこうして文章に残しています。

誰かの嘆くこころを慰めたいとする私の言葉が、時間や場所を超えて、そして私がいなくなった後でも、その人を支えてほしいと思う。どうしようもない不安と焦りと劣等感で、もう終わりだ、と嘆く人に、そんなことないよ、と知らせてあげられたら。消えてなくなりたいと思う気持ちが、否定されるべきものではないと、伝えられたら。

ただ慰めたい誰かのこころに向かって文章を書き、私自身が慰められ、そうしているあいだに、一生が終わればいいと思います。




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