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033\\\ 呼 吸 法 ワ ン ダ ー ラ ン ド(その1)

■■今まで書いてきました note記事は 呼吸法ワンダーランド というマガジンを作りまして、全部その中にまとめてしまいました。これからは 呼吸法ワンダーランド というひとつのテーマで書いてゆきたいなと思いたったからなのです。

ちょうど033\\\で 呼吸法ワンダーランド の記事を書くことになりました。33\\\はとてもよい数字です。 

呼吸法は、この世を不思議世界に変えてくれます。それは、呼吸法で自分の身体や意識や能力や感覚に変化が出ることで、それに連なってこの世が変わって見えるようになってゆくわけです。いきなり呼吸法だけをやって、この世を変えることなんかは、出来ません。


ぼくにとっての呼吸法とは、数式や、空間設計や、座標系を作る、というような、精密な技法であり、そこには「遊び」というものはありません。1ミリでも3ミリでも寸法が狂うと、もう不安定になり、空から落ちてしまうようなものが「呼吸法」だと、どこかでとらえているからです。

呼吸法とは、精密に作らた設計図(これは元々この世にあるものであって、ぼくが設計したわけではありません)通りに、その上を外さないように線を引くようなものです。

まるで方眼紙の中の世界に(方眼空間というか)棲んでいるかのよう。正しい線を引くためには正しい点の位置があり、点から線にして、そこから面にして広がり、面と面をつなげて立体にして、さらにそこに動きを起こしてゆくという流れになります。さらにそこに、自分と他者という出会いも始まってゆきます。


呼吸法には、無駄やら、遊びやら、勝手な創作などは入れる必要はありません。もし仮にそういうものが作れたとしたら、それは「創作」などではなく「もうひとつの新しい法則を再発見した」として許されるものです。

しかし、こういう考えも、だんだんと変わってはきました。ぼくにとっての「呼吸法」の真反対には、作者が自由に創作できる「小説の世界」があります。

作家たちは自分の中に浮かんだ楽しい嘘や新しい作り話を、自由に文章にしてゆくことが出来る。そういう自由さは呼吸法には無い。呼吸法は、元々この世に「法則として有る」ものを素材にするしか出来ないからです。


「無い」ところから自由にモノを作り出すことは不可能です。仮に、スピリチュアルの、眼に見えない世界をあつかう時でも、それは「肉眼レベルに見えない」だけであって、しかし「ちゃんと存在している」「有る」ものを使っているに過ぎません。

だから、反面として、小説を書く作家さんみたいな、楽しい作り話や面白い嘘を自由に文章に出来るような自由さのある「遊び」の呼吸法が出来たらいいなと、思ったりしていたのですが、そんなことを薄ら薄ら思っているうちに降りて来たネーミングが 呼吸法ワンダーランド です。

これはぼくにとっては「お告げ」のようなものでした。あとは、自分のこれからの行動を、このネーミングに気づいて合わせてゆく日々になってゆきます。

呼吸法 と ワンダー なんて、まるで真逆だと思います。ぼく自身は小説などはとても書けませんが、《呼吸法が踊りになりそう・・・》と感じたあたりと 呼吸法ワンダーランド はどこかでつながっているかのようなのです。

《呼吸法が踊りになりそう・・・》なのを、それを裏返して、《踊りが呼吸法になりそう・・・》に返してあげれば、それが 呼吸法ワンダーランド なのかもしれないなと、思ったりしています。


クウキの神様 両手を上に

■■呼吸法では (精) (気) (神) (虚) の4つを養ってゆきます。この (精) (気) (神) (虚) の4つとは、中国仙道や太極拳などでよく使う、エネルギーの4つの分類法です。この4つの違いは、粒子の粗さと細かさの違いです。

(精)は肉体エネルギー (気)は呼吸エネルギー (神)は意識エネルギー (虚)は内外境界線感覚です。

(精) を細かくしていって (気) に換える。(気) を細かくしていって (神) に換える。 (神) を細かくしていって (虚) に換える。氷が水になって、水が水蒸気になって、水蒸気がもっと細かくなって空間の中に溶けてゆくというようなイメージだと思ってください。


さらにこれは、仏教の (生) (老) (病) (死) にも当てはまるとも感じています。このあたりのいろいろな「解釈」は、人によって違いがありますので、このnoteに書いております内容は、あくまで「ぼくの解釈」です。

どうやったら (精) (気) (神) (虚) の4段階を練ってゆけるのか? というあたりは簡単に分かりやすく文章で書くのは難しいものです。そのあたりはページごとに小出しにして 呼吸法ワンダーランド 全体をつなげて分かるように書いてゆきます。

なにしろ (精) (気) (神) (虚) は中国仙道や太極拳での用語です。秘密などもたくさんありますし、一般の大衆の前では書けなくて言えないような内容もあります。(気) には陰と陽がありまして、男女でまるで共通しなところもあります。


この (精) (気) (神) (虚) の4つは、それぞれ別々に存在しているのではなく、4つは同時に重なって構成されています。しかし、自分の粒子が粗いと粗いエネルギーしか使えません。

肉体エネルギーが一番「粗い」ことになっていますが、肉体の中にも微細なエネルギーは存在しています。存在はしていながらそれに気づかないし、使えないというだけです。

細かい粒子は粗い粒子を包括していますので、粒子が細かくなればなるほど気づきやコントロール感覚が明確になれるわけです。身体のチカラが抜ければ抜けるほど(副交感神経という意味で)粒子は細かく変わってゆきます。

たとえば、粗い粒子の人が吐く息だと「ただの空気」なのに比べて、細かい粒子の人が吐く息は「気のエネルギー」である、という違いがあります。粗い人の視線では「ただの肉眼」なのに対して、粒子が細かい人の視線は「第3の眼」のような働きだったりもいたします。


■■ (精) (気) (神) (虚) の4つを養う呼吸法は《内呼吸》を用います。普通の呼吸は《外呼吸》という、外から酸素を吸っては、体内の二酸化炭素を吐き出して循環させるというものです。肺という呼吸器を使っています。誰でも自然におこなっている、ごく普通の呼吸(凡息)のことです。

もうひとつの《内呼吸》とは、吸った息をそのまますぐに外に吐き出さないで、吸った息をさらに身体の深層部に循環させるという、中国仙道的で太極拳風の呼吸の技法です。体内気圧を強める呼吸法です。これによって、身体の中の細胞のレベルにまで浸透してゆくというものです。

(精)→(気)→(神)→(虚) と練って養ってゆくには、どうしても体内気圧を強めることが必要なのです。圧力鍋のようにです(例えとしてですが)。普通の外呼吸では蓋をしない鍋のようなもので、鍋の中の水分は全部蒸発してしまいます。

しかし《内呼吸》では、蓋をして、鍋の中で圧縮させて料理をするようなイメージだと思ってください(わかりやすく言うとですよ)。そうやって圧縮された身体に更に回転をかけたり沈ませたり傾かせたりして次の動きを起こさせます。


呼吸法ワンダーランド には、もうひとつビジョンがあります。それは呼吸エネルギーを通した場所や建物や室内設備があって、そこに行けば、もう自然に呼吸法をしたのと同じようになっているという場所を持つことです。

そんな場所があれば、もう、むずかしくて、奥深い、ありがたい呼吸法を、わざわざ練習しなくてもよくなります。そういうのを 呼吸法ワンダーランド と呼ばれるようにしたいのです。

それがうまくいくためには、『すでに場所や建物や室内施設が呼吸法をしているてくれている』ということが必須です。そこに行けば自然に呼吸法をやっているような状態になれるということですから。

呼吸法ワンダーランド とはつまり、ランド(場所や建物や室内施設)自体が呼吸をしている、ということが究極の理想です。もちろん、ぼくの呼吸エネルギーと連動させるのです。実は、自分の呼吸法を、その場所の床・地面・壁・空間、などにシンクロすることは可能なのです。

そういう場所を作れば、集まって来た人が床や壁や空間に意識を軽く同調してくれれば、もう「呼吸法をしたのと同じ」になれるのです。

こうやって、ぼくのアタマの中は、もうすでに 呼吸法ワンダーランド となっているみたいです(今のところは空想中だけなのですが)。

★呼 吸 法 ワ ン ダ ー ラ ン ド///★

つづく


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