027\\\ we感 覚 を 持 つ ふ た り
小さいころ不思議に思っていたことがあった。近所に住むある子供(ぼくもその頃は子供でした)のお父さんとお母さんの顔が、よく見ると、とても似ているといこと。親子で似ているのは、それはそれで当たり前。しかしそれよりもお父さんとお母さんのふたりが似ていると思ったのは、なんだか不思議だった。
なぜ? お父さんとお母さんは兄妹?
子供と親が似ているの当然だとして、どうして両親のふたりが似ているのだろう? 両親(夫婦)と言えども、元は他人同士なのだから似るはずがないのに。そう思った。
あぁそうか! 両親ふたりの間にその子供を入れて見てしまうから、似ているように見えるのだ! と解答を見つけようしたが(今これを書きながらでもその頃のことを思い出しつつ)、しかしなんだか違う。
そのふたり、いったいどこが似ていたのだろうかと、思い出そうとしてみて分かったことがある。それは、「表情が似ている」ということだ。きっと、家庭の中でも、同じ状況で同じ場面にいるふたりは、「同じ表情」をしている。ぼくから見て「同じ」に見えたのは顔の方ではなくて「表情」の方だったのかもだ。
ぼくは自分の仕事がら、道を歩くカップルや夫婦らしきふたりや家族グループの中にいる両親を、つい見てしまう。テレビ放送を見ていても、必ずそのような関係のふたりを見てしまう。この夫にこの妻か。この奥さんにこの旦那さんなのか、と。
それも、オトコとオンナのそれぞれを見るのではなくて、「ふたり一組」としてのふたり。つまり、ふたりの間にあるオーラの同調度。どのくらいふたりは「ひとつの空気」なのだろうと。それを見る。
いろいろな「ふたり」が一緒にいる場面を見て、「つながってるオーラ」だと思うことを感じることもあれば、「まるでチョン切れているオーラ」のように見える「ふたり」もある。それはもう「ふたり」とは言えませんが。
つながってるオーラの「ふたり」とは、きっと同じ表情のオーラなのかもしれない。オーラの原材料は周波数と振動数だ。オーラに「表情」があるとしたら、それは周波数と振動数の同調と共鳴が周囲に広がった臨場感のあらわれだ。
we感覚という言葉があります(ぼくが作りましたが)。we感覚とは、ふたりがそれぞれ個々バラバラにそこにいる感じではなく、なんだか似たようなふたりがその場でひとつにつながっている臨場感を持つ空気感のことをそう呼んでいます(勝手にそう言ってます)。
先ほどの、小さい頃に近所に住んでいた子供の両親の顔がよく似て見えていたのは、ぼくは we感覚と呼びたいのです。同じ場面で同じように笑い、おなじようにうなずく。子供もその間で、同じような場面で同じように笑い、おなじようにうなずく。
そんなふたりが、自分たちの we感覚をどういう心境で感じ取っているのかはわからないけれど(ただ自然にそこに生きているだけだと思います)、少なくとも「そばで見ている側」としては、とても癒されるというものです。
他人のぼくから見てそう感じるのだから、その小さな子供もきっとそうなのです。同じはずです。その両親とその子供は、同じ場面で同じように笑い、同じようにうなずく。そして家庭の中で自然に we感覚を身に着ける。
きっとそのふたりは、ちゃんと《恋》をしてつながったのだろうと思うのです。それも、片思いの恋ではなく、お互いの恋。恋をすれば「同調」を求め合うものですから。
ぼくの相談業という仕事の内容は、半分以上が恋愛問題と人間関係の相談、半分以下が病気の問題とエネルギー不足解決の相談です。病気の問題とエネルギー不足解決の相談よりも、実は恋愛問題と人間関係の方が少しやっかいなのです。
恋愛問題を持ち込む人には、《恋》をしている(していた)人からの相談と、していない人(されてない)からの相談があります。恋をされてないというのは、相手の人から恋をされていないという意味です。恋をするよりも先に肉体関係の方を持ってしまったという意味としてとらえてください。
オトコもオンナも《恋》をしたこと、というのは忘れません。たとえ後からいろいろあっても(喧嘩とかその他の問題とか)、それはそれで「忘れる」ということはないものです。
仮にいろいろあって別れてしまっても、また同じような人に恋をしては同じ失敗をするだけです。たとえまた失敗をしたとしても、それは恋したことが悪いわけではありません。
《恋》をしたふたりが、いろいろな問題もなく失敗もないまま、ずっとうまく続いていれば we感覚。それはやはり「周波数の相性」です。we感覚になるには時間がかかります。出会った瞬間に仲良くなった時は we感覚に似ているかもしれませんが、もしかして急性性欲だけかもしれません。
急性ではなく、慢性の恋をしているふたりのことを『we感覚』。
どのふたりを見ても、夫である男性の方が、身体のサイズ的には絶対に大きく、筋肉もあり、力も強そう。一方、妻である女性の方が、身体のサイズは小さく、筋肉量も少ない。腕力も、夫と比べれば、少なくて(きっと)弱いのだろう。
しかし「オーラ」という見方をしてみると話しは変わる。妻である女性の方の身体から出ているオーラ感(持っている空気感というか)は、圧倒的に妻である女性の方が大きい。
夫である男性の方からは、あまりオーラ感というものは出ていない。ただ強そうな筋肉と腕力感が見えるだけくらいなのだ。we感覚は、筋肉や腕力では作れない。
うまくいっているふたりに限って、そんな感じに見えるのです。うまくいっているふたりをそうさせているのは女性側のオーラ感であることは、ほぼ間違いないと決定してよろしいような気がいたします。we感覚を作っているのは女性(妻)の方なのです。
それで最後に、では、どうやったら『we感覚を持つふたり』になれるのでしょうか?ということですが、これには方法は無いのです。恋愛のレシピなんか見てもダメです。結果的にふたりはそうなった、ということとしか言えないところです。
ひとつ言えることは、 we感覚は互いで「同じ」ものを持っていないと同調は出来ませんから、どこか必ず「共有事項」があればそうなりやすいのでしょう。ふたりでひとつのものを同調して持っていて、共有する話題があること。
お互いがそれぞれ違うものを持っていたりすると、お互いのことにあまり関心は無くなるでしょうし(その分お互い自由になれるかもしれませんが)、同じ場所で同じ表情にはならないでしょうし、同じようにうなずくことも無いでしょう、と思います。
we感覚にはお互いの自由(好き勝手という意味の自由です)というのはあまり無いのかもしれません。縛り合ってはいないのに we になっているということですから。
この世には確かに「地獄」はあります。一番の地獄とは、お互いで we になれないことです。他国の戦争よりも、自国の諍い・・・。
★呼 吸 法 ワ ン ダ ー ラ ン ド///★
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