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頼り下手な人ってやさしくないよな。

強がりをいってしまうねんなあ、これが。
いつまで強がりを言ってしまうんやろ、わたしは。

乳がんの再発転移の治療はずっと続いている。

かれこれ、治療をはじめて3年半が過ぎた。
ありがたいことに、いまのところ元気に日常生活をおくれている。
もちろん、なんやかんや、あんなそんなはある。
しかし。
3年半後に、こうして元気でいられるなんて、思いもしなかったあの時からすると、いやはや驚くばかりなり。

再発転移の治療をはじめたころは、かなり焦っていた。
いったいどれくらい休職することになるんやろう。
少しでも早くに仕事にもどりたい。

今までの仕事と同じポジションに戻れるうちに。
ブランクの期間はできるだけ短いうちに。
この先がわからないのなら、少しでも体力のあるうちに。
抗がん剤のダメージで心身ともにボロボロかもしれんからこそ、一日でも若いうちに。
うちに。
うちに。
うちに。

何をあんなに焦っていたんかなあ。
まあ無理もないけど。
なるようにしかならんって、なかなか思えへんかってんなあ。
今でもなかなかそう思えへんけど。

そんな時に相談にのってもらった患者会があった。
そこは、治療をしながら、もしくは治療後に仕事を続けている乳がんサバイバーの会である。
わたしがお世話になってから数年がたつが、会の様子はずっと見守ってきた。
熱い思いをもっておられる代表者の方と、それぞれの立場に応じたアドバイスをしてくださるスタッフの方々の、サバイバー同士を無理のない形でつないでいってくれる手腕、そしてぶれない姿勢。
今も、どんどん活動内容を広げられながら、誰もが参加しやすいようにという姿勢はそのままに。

そうはいっても、はじめてその会を訪ねていった時には、ずいぶんと構えていたわたしだったけど。


そこの代表者の方から、久しぶりに連絡をいただいた。
当時のことが、いろいろと思いだされた。

私が相談に伺った時は、スタッフの方だけでなく、会に参加されていたサバイバーの方ともお話をさせてもらって、ずいぶんと力づけてもらった。
そのサバイバーの方は、私と同じ職種の方で、通院のために仕事をお休みをする時のアドバイスや、仕事の上での自分の目標や、あきらめない気持ちや、今できることをやることの大切さを、世間話をするかのように話してくださった。
具体的な内容だったからだけではなく、その方の仕事に対する熱い思いや、私を力づけようとしてくださる姿に、その方の発する言葉がぐんぐんしみ込んできた。
そんな様子を、静かに見守ってくださっていたスタッフの方々。
心の中では、言いたいことをたくさん持っていはったと思うけど、
そこのところはぐっと抑えてくれてたんやろうなあ。
私やったら、べらべらと口をはさんでしまいそうやわ。


話がそれてしまった。


その代表者の方とのメールでのやりとりをしながら、
私は、ずっと心のなかにあるわだかまりを、思い出していたのだ。
退職したことへのうしろめたさ。
いまだに、抱えたままである。
そして、それを、言葉でもお伝えした。


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【  退職して2年。
 
幸い、治療を続ける中で体調も安定しています。
今は、正規の仕事ではありませんが、週に2回、非常勤として異なる立場で働く日々です。
また、ちがった角度から仕事に携わる面白さを感じながら、
自分が本当にしたかったことは何なのかをずっと考え続けています。
(時間がかかりすぎですね 笑)
 
それと同時に、ずっと後ろめたさも感じてきました。
退職という道を選ばずに、もっと職場で、がんを患いながらの仕事の仕方というものを模索するべきだったのではないのか。
それが、まだまだ整っていない社会の中で、少しでも石を投じることをするべきだったのではないのか。
会の活動を目にするたびに、そのことを思い起こしてきました。
これについては、今後も考え続けていくのでしょう。
 
けれど、その時にくだした自分の判断です。
自分にはこれしかできなかったのだとも思います。
けっして、最善ではないのでしょうが。  】


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なんとも素直じゃないよなあ。
まだ、この期に及んで、強がりを言うんやなあ。
わたしは。
うしろめたさをずっと感じているくせに、しゃあなかってん!とめっちゃ開き直ろうとしてる。
ほんまにうしろめたいって思ってるんか~~~って、自分でも言いたくなる。
もちろん、本当にうしろめたい。

働きながら自分のやっていた仕事を続けていこうと思ったら、たくさんの人々に頼らなくてはならない。
迷惑をかけることだってたくさん。
もちろん、労働者の権利だからって言ってしまえなくもない。
でも、そんなことでは現場はすまないこともある。

とか思ってたわけやけど、よくよく考えたら、人に頼ることができない人って、人に頼られることもよしとしないってことじゃないんやろうか。
私と同じ状況の人が、同じ職場にいたら、もちろん私は全面的に協力するって思ってる。
できることは何でも助けるって思ってる。
でも、それって本当やろか。

口では、協力するとか言ってるけど、それって理屈の上だけで、どこかやってあげてるってことになっていないだろうか。
自分が、やってあげてるなんて思われたら、死ぬほど嫌なくせに。
人に頼れなかった自分の弱さを、いまだに認められない。
もしかして、頼り下手な人って、実は人にやさしくないんと違うんやろか。わたしは、ただやさしくないだけの人なんかもしれん。

そんな私に、お返事メールをくださった。
メールの内容に関係のないところを、一部だけ勝手にご紹介させてもらいます。(すみません。)


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《    私も仕事を継続することがベストではなく、その時に選択したことがベストだと思っています。
未来が見えない中で選択しているので、振り返ってその時の選択を考えるのは後だしじゃんけんを考えるようなものですから。
と、私自身が失敗したかなと感じる時に考えるようにしています。   》


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わたしの弱さを、こんな言葉で救ってくれる。
言葉が栄養になる。
そうもメールの中でおっしゃっていた。
まさしく、言葉は生きる力になるなあ。



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