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●▲■のミルクスープ

こんにちは。1010です。この頃急に寒くなりましたが、皆さん元気ですか。
私は寒さと暗さにこの頃やられ気味です。

そんな日にはミルクスープをつくります。

ウインナーを輪切りに、にんじんと玉ねぎと大根をサイコロくらいの大きさに。バターで炒めて、牛乳をとぽ…

あればコンソメと、塩胡椒で味を整える、なんてことのないミルクスープです。ウインナーの●と、サイコロ状に切ったにんじんと大根の■、そしてその端っこの▲がぷかぷか浮いて、私はそれを毛布に包まりながら啜ります。

なんてことはないけれど、暖かくて美味しいミルクスープです。

私たちがものを口にするとき、食べているのは食材だけでしょうか。
あ、あれが食べたい。あれを入れたらきっと美味しくなる。今日はあれが残っているからああやって食べよう。
この食材は自分によってきっと美味しくなるのだな、という献立への信用のもと、調理に臨むのです。逆にいうと、美味しくなかろう、と思うものは作りません。そして、その美味しかろう、美味しくなかろうを決定しているのは、他でもない「過去に何かを食べた思い出」です。過去に誰かが作ってくれたあれが、美味しかったから、きっとこれも美味しかろう。

つまり私たちが自分で献立を決めてご飯を食べるとき、ごはんと同時に思い出も食べているのだと思います。

逆にいうと、私は自分に自信がないので自分の作ったご飯を人に食べさせるのが苦手でした。今も少し苦手です。調理実習とかならいいのです。調理過程をみんなで見ていて知っているし、調理しているのもみんなだし。

ただ、自分一人で一から作ったものを誰かにあげるのは、少し怖い。自分でコントロールできない、誤魔化せないこれまでの私が透けて見えるようで、現在の自分が必死に取り繕っている「これまで」が滲み出てしまうようで。(思い直して加筆していますが、逆手に取るとそこを知ってもらえるのは、何かつくる行為のいいところかもしれません。どう頑張ったって自分の一部が滲み出てしまうところ。好きになれない自分のことも、つくったものを誰かが美味しく食べてくれるだけで、少しは認められたりするのかも、と思います。)

私に向けてかつて、二人の友人が、同じようなコロコロの野菜入りのミルクスープを作ってくれました。一人は、遠く離れた場所へ、数年ぶりに会いにいった朝に。もう一人は、誕生日のお祝いにハンバーグと一緒に作ってくれました。野菜が甘くて、牛乳がやさしくて、ほんとうに美味しかった。

料理の腕に自信はないので、このミルクスープが美味しいのか美味しくないのか、もっと丁寧な作り方はあるかもしれないし正直自信はありません。でも、確かに私は二人から美味しいミルクスープに関する幸せな思い出をもらいました。ミルクスープをつくればあたたかくて美味しいという信用があります。

だから、寒くて暗い夜でも、ミルクスープならつくることができる。思い出を根拠とする献立への信用の効能です。
白に浮かぶ●▲■を眺めながら、私はその幸せな思い出を食べるのです。

それは、なんてことなくて、特別なミルクスープです。

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