見出し画像

壁は橋になる

こんにちは。1010です。お元気ですか。月1で美術館に行くと4年間で100弱くらいは美術館に行ける、と言った某教授の言葉を信じて、学生時代はたくさん美術館に行っていました。今日は、学生時代に行って今でもよかったと思う展覧会の話をします。

Walls & Bridges

東京都美術館で、2021年7月22日から2021年10月9日まで行われた、「Walls & Bridges 世界にふれる、世界に生きる」という展示です。ある5人のつくり手-アーティストの定義にもよりますが、つくることを生業としていなかった人も含まれるので、ここではつくり手、と呼びます-の作品が展示されていました。

東勝吉(1908-2007)、増山たづ子(1917-2006)、シルヴィア・ミニオ=パルウエルロ・保田(1934-2000)、ズビニェク・セカル(1923-1998)、ジョナス・メカス(1922-2019)。本展でご紹介する5人は、表現へといたる情熱の力によって、自らを取巻く障壁を、展望を可能にする橋へと変え得たつくり手でした。彼らにとっての表現とは、「よりよく生きる」ために必要な行為であり、生きる糧として、なくてはならないものだったのです。

https://www.tobikan.jp/exhibition/2021_wallsbridges.html

上のサイトでは簡単に5人の説明と作品を見ることができます。ぜひ訪問してみてください。5人に共通するのは、それぞれの逆境の中で、「つくること」に救いや生きるよすがを求めたことでした。

本当にどれも良かった。ズビニェク・セカルの彫刻も、ジョナス・メカスが借金してまで撮った日常の動画も、東勝吉の最後から二枚目のスギの絵も、時間を経るたびうまくなる増山たづ子の写真も、シルヴィア・ミニロ・パルウエルロ・保田の、計算用紙のすみにかかれたスケッチも、今でも目の前に浮かぶようです。

つくること、よく生きること

つくらなければ生きていけない、と思ったことがあります。こう書くとものづくりの天才みたいで語弊がありますね…。もっと正確にいうと、今この瞬間、自分がダメにならないためにはつくる行為が必要だ、と思ったことがある、です。これは共感される方もいるのでは。

体を起こすのが難しい中で、ベッドに寝ながら筆を走らせて絵を描くとき
自分の価値が不確かになった時に、何かに向けて写真を撮ることで相対的に自分について確かめるとき、
悔しくてたまらない時に泣きながらピアノを弾いて歌を歌うとき、
寂しさに負けぬように物語をしたためるとき、
平凡な日々の中で自分の作った料理が美味しいことに感動するとき、

ちいさな頃から、私が私を救う時間は、いつもつくる時間のそばにありました。へこたれていた時期に作ったものは、弱く痛々しいですが、それでもなんとかやっていた記録としてたいせつに思います。私のは、展覧会で紹介された5人とは、環境も背景もスケールも深刻さも違いますが、それでも、この展覧会が響いたのは、壁を橋にしたいと願いながら何かをつくった経験があったからです。

どんなに現実が辛く厳しいものでも、「よく生きる」ために、どうにかして自らを救うために、手を動かしてものをつくることそれ自体が、なんと愛しい人の営みなのか、と思います。そうして生まれたものも、愛しいと感じます。上手い下手関係なく。AIにはできません。

学生生活の6年をかけて他者から、作品から、そして自分自身の経験を経て、そのことを知れたことは私の幸運でした。今後また、私に生きるよすがが必要になった時に、選択肢として「つくる」行為があることを、知っているからです。

おわりに

4月からデザイナーになりました。自分にとっての、全く新しい稼ぐためのつくる行為と、どう付き合っていくのが良いのかずっと模索しています。つくることが自分の中でどう変わっていくのかが楽しみでもあるし、怖いとも思います。変わらないままであるかもしれません。
これからの自分が教えてくれるまで、ひとまずはひたすらに目の前のことをがんばります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?