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つくること、考えること
あけましておめでとうございます。1010です。
「AI絵師に仕事を奪われる」という文言を耳にしたことがある人も多いと思います。創作の補助となるツールがたくさん出てくる中で、創作を創作たりえるものにしているものは何なんでしょう。
誰が描いた絵?
![](https://assets.st-note.com/img/1672914076664-sDY1mXdrHu.jpg?width=1200)
いきなりですが、これは約2分で描いた絵です。procreateの初期ブラシを使用して、サーっとできました。みなさんはこれを誰が描いた絵だと思われるでしょうか。
「わたし」の不在 pic.twitter.com/DtQYabeDbj
— 1010 (@1010child) January 5, 2023
使用ツール
デバイス:iPad
ソフト:procreate
使用ブラシ
前景1:ソードグラス
前景2:ワイルドグラス
背景:レインフォレスト
この絵の中での「わたしがつくった」たり得る点はどこでしょうか。ざっと思いつくものを簡単にあげると、配色や構図はわたしのつくった点ですね。
一方で、この絵の中で「わたしがつくった」たり得ない点もあります。ブラシツールによって代用された草の描き方、雲の描き方、木の描き方が排除されています。また、アナログの絵と比較するならば、本来有るはずの水張りや絵の具を混ぜる作業、下地や絵の具の吟味もなくなっています。
そしてそれに伴う、わたし自身の思考や試行が含まれていません。
つまりこの絵は、わたしが「つくった」点と、ツールに「つくってもらった」点が一緒くたになってできている絵です。でも、考えてみれば当たり前ですね。例えばこれがアナログで描いた水彩画でも、そのテクスチャや滲み加減は紙と絵の具に「つくってもらっている」点がつくり手によって制御されてできています。
誰がつくったもの?
「AI絵師に仕事を奪われる」というのは、それを言う人がAIに代替してもらう作業の範囲が、自分が「つくっている」と思えるラインを侵食しているからではないでしょうか。AIイラストや3Dプリンタ、その前はミシンなど…が浸透することで、人の手によるものづくりと機械によるものづくりの境界が曖昧になっていて、明確な線を引くことが難しくなっています。
それでも両者の間に明確に存在する境界があります。
それは、つくり手が創作にかける時間、その中の思考と試行錯誤です。誰かのためにものを作っていても、自分のためにものを作っていても、より良くなるにはどうすれば良いか、その過程で獲得した知識や技能、その時間の豊かさは、揺らぐことのない人がものを作ることの証になりうるのではないでしょうか。
ここでは、補助ツールを使用することの良し悪しについては述べていません。補助ツールがあることは、ここでいう草の描き方、木の描き方、雲の描き方を知識や技能として持たない人々が容易に絵を描く行為に到達するのに便利で、配色や構成にかける思考に、到達することができます。
一方で削ぎ落とされるものがあるのも事実で、クリエイターも、それを評価する人も、それにどう向き合っていくかを考える必要があります。そのタイミングが、今、AI技術の到来によって再びもたらされているのではないかと思います。
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