日々①

人と会話しているとこう思われたいんだという自意識がベロンと見えることがあって、その度にうえって思ってしまうけど、でも同時にとてもそれはとても愛しいものだと思っているから、ニコニコしていた。

思春期特有のむき出しで磨かれていなくてザラザラゴツゴツしたものを見るのが好きだった。可愛くて愛しいと思っていた、いる。なんであんなに愛しいと思って気持ち悪いとも思えるのか。あの子達は他でもない私に大切に大切に守っている「これが私の思う私」を見せてくれているのだ。そして「こう思われたい」の「れたい」の部分の隙がとてもあけすけで可愛い。

私は私でひねくれているので「あらまあ」と思ってそこばかりみてしまう。でもこうでああだからちがうよね?とは言わないのが愛だ。私は少しでもあなたが作り上げた世界に便乗していたい。享受ではなく。

逆になぜ気持ち悪いとも思うのか。それは私自身に起因するものだろう。私は基本的に自分なんか無くなりたい、認識されたくないと思っているから、具体的な他者からの眼差しを切望している様を見ると自分がそれをしているところを見て気持ち悪くなってしまうのかもしれない。


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